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森に入るとき、人間の身体は否応なく変化する➖➖『マタギドライヴ』の旅 #7

 永沢さんと益田さんに連れられて、僕たちは狩り場へと案内された。ほんの少し自動車で走っただけなのに、そこはもう携帯電話の電波の入らない領域だった。僕たちは麓のキャンプ場の駐車場に自動車を停めて、改めて身支度した。そこには無数のアブが飛び交っていて、少し自動車のドアを開けただけで数匹のアブが侵入してきた。益田さんは、アブには刺される前提で来るように僕たちに指示していた。僕たちはその指示にすっかりビビってしまい、指定された虫よけスプレーの大きな缶を買ってきて、ドアを開けるときにレンタカーの車中に思いっきり散布した。すると密閉された車中はたちまち煙たくなって、僕たちは逆に慌ててドアや窓を開放することになった。そんな僕たちの悪戦苦闘を、益田さんがニコニコとしながら見守っていた。

森の花々
永沢さんの肩に止まるトンボ
クマに注意
森の中のふたり
マジで視界は効かない
沢に入る益田さん
美しい植物たち
雨に濡れる木

 雨がちだった空模様は、ちょうどこのとき見計らったように晴れてきた。これはついているなとあたりを見まわすと、アブだけでなくいくつかの種類のトンボが飛び交っていた。とくに、大きなオニヤンマが飛んでいたのが、僕は嬉しかった。僕が東京で毎年足を運んでいる森では、この季節にオニヤンマが水辺をパトロールしているのだけれど今年はなぜか姿を見せていなかった。それがこうして秋田に来て見れたので、何かを取り戻したような気分になったのだ。

 永沢さんと益田さんに先導されて、僕たちは森に入っていった。二人は森の入口で、器用にナガサを用いて、手近な木の枝を切った。そして杖が必要な人はこれを使うといいと言って、僕たちに手渡してくれた。そして、そのまま草や枝をかき分けて、斜面をぐんぐん登っていった。これに同行したスタッフ、特に映像チームが面を喰らっているのが分かった。彼らはおそらく、ちょっとした山道のようなところを登っていくハイキングのハードなもののようなものを想像していたのだと思うが、永沢さんと益田さんはまったく道でもなんでもない、単に目の前の山の、かなり角度のついた斜面をそのまま手足を浸かってぐんぐん登っていったのだ。彼らに落合君と、そして僕が続いた。このメンバーの中では山菜採りが趣味で毎年新潟の山に足を運ぶ落合君と、昆虫観察が趣味で毎年夏に森に入っている僕が、相対的に山林の斜面移動にまだ慣れていたのだ。
 それは手足をついた、まったく水平ではない場所での限りなく垂直に近い移動体験だった。ははたすら掴まれる場所、引っかかる場所を探しながら重心を移動させる。それは平地の移動とは、根本的に異なった身体を用いることなのだ。そして登りながら、益田さんは声を出していた。それはこうした文章で、カタカナにしてしまうと途端にその質感が失われるような声だった。もちろん、それはクマを寄せ付けないためのものだ。マタギたちは実際の猟の際は、こうしてクマをあるエリアに寄せ付けないことで、逆に特定のエリアに誘導するのだという。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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