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「告発するとますますイジメられるから黙ってイジメに耐えよう」という「善意の忠告」にいかに対抗するか
ここ数日、更新が滞ってしまって申し訳ない。先週の後半から体調を大きく崩してしまっていて、その原因はあるトラブルに巻き込まれたからだ。この件ではものすごく精神的、身体的なダメージを負って、なかなか回復しないのだけれど、自営業者としては仕事の手を止めると、生きていけなくなるので無理やり身体を動かしている。
どのようなトラブルか……はさすがに進行中のことなので書くべきではないと思うのだけど、僕は一連の出来事にとても深く考えさせられた。もしかしたら僕はこの件を、いずれ一冊の本にまとめるかもしれないと思っている(それくらいいろいろなことを考えた)のだけど、ポイントは「誰も悪い人はいない」、というか少なくとも誰かが誰かに害意を持っているという状況がまったくないのに、弱い立場の人間が締め上げられる、という構造の存在だ。
繰り返すが、この件で誰も「悪い人」はいない。ただ、その人達が属している業界の「慣習」や「ローカルルール」があり、それは外部の人間にはまったく関係のないことなのだけど、それを彼らはむしろ「善意」から結果的に押し付けてしまう。そして相対的に弱い立場の人が割りを食う。読者のみなさんにも、そんな経験がないだろうか?
たとえば、小学校のクラスでいじめがあったとする。被害者が加害者の暴力を告発しようとする。すると被害者に寄り添う心優しい友達は、彼に「告発すると君がますますクラスから孤立するからやめたほうがいい」と忠告するのだ。このとき心優しい友達は、彼に心から忠告している。いじめ問題を表面化させることは、クラス全体の空気を重くする。帰りのホームルームが長引き、帰れなくなる。いじめられていた少年は、ますます孤立し、さらにいじめられるだろう。だから「告発するな」と忠告するのだ。
しかし、ここで「正しい」行動はどう考えても、こうしたクラスの空気とそれを生み出す構造にそのものにメスを入れることだ。一緒にクラスを支配する暴力に「NO」を言う事でしか、事態の打開のチャンスはない。しかし、ここで「ますますいじめられるから黙っていなさい」とアドバイスすることは、被害者をますます絶望させるだろう。しかし、クラスの「空気」とローカルルールに「適応」したその友達にはこの構造が理解できない。だから自分が被害者を決定的に追い詰めるようなことを「結果的に」言っていることに気づかないのだ。自分たちの共有する「文脈」がその共同体の外部で通用するかどうかを自己点検する回路を、ある共同体内の論理を内面化すると失ってしまうのだ。
では、どうするのか。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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