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リベラルと改革派が「和解」するための提案

昨日は津田大介さんと音喜多駿さんを招いて「和解」対談を試みてきた。結果は……来週公開される動画本編を見てほしいのだけど、僕は以前から主張しているように、この両者、つまり「リベラル」と「改革派」は「今こそ」手を取り合うべきだと思っている。この「今こそ」というのは自民党が少数与党に転落し、そしてそのリーダーは自民党の中ではもっとも中道的な石破茂であるという状況のことを指している。この「今こそ」、野党が中道路線で結集して、自民ー公明体制ではできなかったことをクリアしていくべきなのだ(その象徴が選択的夫婦別姓だ)。

しかしこのビジョンを妨害しているのが、野党(支持者)内の左右対立だ。

現代において中道を自称する政治家や言論人には、SNS上の「受け」を狙って自民党ではなく、リベラル勢力を叩きに行く人が後を絶たない。後出しジャンケン的に弱い方、負けた方を叩くと、それに賛同して自分を「強く」「賢い」側に置きたいと考える(自分は「強く」「賢い」と思い込みたい)コンプレックス層が大量に課金/投票してくれる。この「冷笑」ビジネスにハマっている政治家や言論人は、そのために自民党よりもリベラルや左派を叩くことに夢中になっている。その結果としてセクシストや歴史修正主義者にすら加担してしまう(左翼を叩いている人間に加担すると自分が数字を取れるので、してしまう)人も少なくない。しかし、これをやっている以上、最低限の事件や倫理を大事にしている支持者は離れていくし、リベラルなプレイヤーと組むことは難しくなってしまう。

対して、左派も左派で「敵」を悪魔化して、人格攻撃を加え、「正義」の名のもとに集団リンチの快楽を謳歌する文化が定着している。

特に僕が悪質だと思うのが「切り抜き」の印象操作と、「○○と対話しているあいつも敵」という連合赤軍的な党派思考だ。

前者については、左派で嫌われている(「叩いてもOK」とされている政治家やビジネスマンについては「そこだけ切り抜いたらアウトな主張をしているように見える箇所」を切り抜いて拡散し、正義の名のもとに切り抜いて攻撃するものだ。これをOKにしてしまったら、リベラルは立花孝志的なルールハックを批判する権利を失ってしまうと思う。しかし「敵」にこれをやって「英雄」になるという文化は左派ジャーナリズムに定着してしまっている。ここで働いているのは明らかに「敵を殴る快楽を肴に盛り上がろう」という文化で、これをやっている以上は「対話」の可能性はなくなってしまう。

また、これは左右どちらにも当てはまる(が、左派のほうがこの傾向が強いと思う)が、「○○と対話した」時点で、「敵」として認定して攻撃してくるる文化だ。僕は実際に音喜多駿と対談しただけで、(何度も言うが、僕は音喜多の維新入りを友人として強固に止めた一人なのだが)そういうことを調べもせずに左派から何度も袋叩きに遭っている。

僕はむしろ、意見が違うから対話するのだと思っている。だから石破茂と本も出したし、福島瑞穂と連続イベントもやってきた。それが民主主義だと思ってきたのだけど、SNSの、特に左派はそう思っていない人が多すぎる。それはとても、悲しいことだと思う。

このように現状では、改革派もリベラル派もお互いの支持層拡大のために、とりあえず殴りやすい相手(2位は3位、3位は2位)を殴るというムーブが止まらなくなっている。

だからこそ僕は「改革派」と「リベラル」が連携するために、以下の提案をしたい。

1)いくらネット受けするからと言って「差別」と「歴史修正」は絶対にNG
2)「切り抜き」による印象操作はしない
3)「敵と対話」したことを責めない

そして現在ではここに

4)ルールハック絶対NG

を加えるべきだろう。兵庫県知事選挙における立花孝志の活動を「改革」派は英雄視する人が多いが、以前指摘したようにリベラル側が同じことを始めた場合、ほんとうにあなたたちはそれを肯定できるか考えたほうがいい。

このようなルールハックが常態化すると、悪質な広告会社とアメリカのプラットフォーマー以外全員損をするゲームに突入するだけなのは自明だからだ。

そしてその上で、僕は2025年に向けてこんなことを考えている。

それは以上のルールに賛成してくれる人にどんどん声をかけて、この「和解」ムードを推し進めることだ。そうすることで改革派の「冷笑」ムーブも、リベラル派の「悪魔化→集団リンチ」ムーブも「ダサい」ことにしてしまう。これが今の日本には必要だと思うのだ。

年末21日の年忘れ大討論会は、その第一歩にしたい(もっと左派も呼べばよかった……)。

そして、その向こう側にイデオロギーを背景にした殴り合いではなく、「もっとこうしたほうがうまくいく」というアイデア出し大会のような場を定期的に開催したいと思っている。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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