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人間は「ある条件」が満たされると意外と簡単にその土地に「馴染んで」しまうのではないかという仮説

 先日、PLANETSCLUBで稲見昌彦さんのオンライン講義を開催した。

 稲見さんは身体拡張技術の第一人者なのだけど、何年か前に『攻殻機動隊』に出てくる「光学迷彩」を実際に作ったことで話題になっていたのを覚えている人もいるかもしれない。しかし彼の研究の主戦場は情報、機械技術による身体の「拡張」だ。講義では、発展する身体拡張技術の福祉やゲームへの応用や人間の「認知」システムの解明を試みる実験など、幅広く取り扱ってもたったのだけど、今日は稲見さんの講義の中で僕が「いい意味で引っかかった」ことについて書いてみたい。

 いきなり話題が飛ぶようで申し訳ないが(しかし、ちゃんと最終的にはつながるのでご安心を)、正月の能登地震の影響で地方を「畳む」という議論が再活性化している。僕の立場は、「畳む」ことはなくとも大幅の縮小(人口の中核都市への移行)はやむを得ないのではないか、というものだ。インフラの維持が現実的ではないというのはもちろん、そもそも近代以降に適正以上に膨れ上がった人口を無理やり養うためにまったく土地の文化に由来しない工場を誘致したり、国との「パイプ」を活かして不相応に大きな公共施設を作り「カネを落とす」というやり方はどう考えても本末転倒であり中期的、長期的にはその土地の文化を破壊すると考えるからだ。
 なので僕は、本当にその土地の分化と自然にコミットするごく少数の人が、そして不十分なインフラを許容する覚悟のある少数の人がその土地に残るべきだし、行政は彼らの支援にこそ税金を投入し、いざというときはドクターヘリを飛ばす覚悟(というかリスペクト)を持つべきだと思う。

 そしてここで問題になるのは、じゃあ「生まれてから70年以上過ごした山村を離れ、息子夫婦の住む県庁所在地に引っ越します」となったときにそのおじいちゃん/おばあちゃんがその都市に「馴染めるのか」という問題だ。「普通に考えたら」無理だ。高齢を加味すると、そのストレスは致命的なダメージにすらなりかねない。ではどうするか? といったときに、この稲見さんの紹介した研究が意外なヒントを与えてくれるのではないか、と僕は思うのだ。

 例によって、結論から先に書いてしまおう。その土地の「馴染む」とは、要するに「かかわる」ことができると信じること、もっと言えば自己の身体の延長にあると錯覚できることだ。したがって、見知らぬ土地に引っ越した高齢者をその土地に「馴染んで」もらうために、身体拡張系の技術が「有効になる」のではないかというのが僕の仮説だ。

 ……なんて書くと「テクノロジーで高齢者を乱暴に扱うのか、けしからん」ととにかく他人を悪いやつに仕立て上げて自分の善性と知性をアピールしたたいと虎視眈々と狙っているタイプ、つまり足りない知性を卑しいくアンフェアなやり口で埋めようとする蛆虫みたいな人たちに速攻でターゲッティングされそうだけれど、落ち着いて最後まで話を聞いてほしい(それでも「脚色」して攻撃するかもしれないが)。

 稲見さんがその日紹介していたのは、ちょっとした実験だ。

 そこにあるのは左手の模型だ。その模型が強くハンマーで叩かれる。もちろん、それは模型だ。見ている人は痛くも痒くもない。しかしある一定の条件を揃えると、被験者はそれがまるで自分の手を叩かれたかのように「ビクッとする」のだ。
 この「条件」がなかなかおもしろく、色形や大きさ、置かれる位置によって被験者の反応はかなり異なってくる。要するに、人間には「モノ」や「場所」を自分の身体の延長として理解するようにその認知のシステムができている、ということなのだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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