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『響け!ユーフォニアム』と「学園」の問題

先日、吉田尚記さん、石岡良治さん、有田シュンさんと『響け!ユーフォニアム』についての座談会に出席した。これはテレビアニメ版の完結編(『響け!ユーフォニアム3』)の最終回に合わせた企画だったのだけど、この座談会は原作小説も含めたシリーズ全体を語るものになった。今日は、前回この作品を取り上げた記事の続きも兼ねて、改めてこのセッションを通してこの作品について考えたことを書いてみたい。

さて、前回と座談会の議論をざっくりまとめるところから始めよう。この『響け!ユーフォニアム』という作品が、このクオリティで完結したこと、この10年の京都アニメーションの代表作になったことは、結果的にオタク文化史的な「意味」を発生させてしまっている。

『涼宮ハルヒの憂鬱』があの時期にアニメ化され、そしてEDの「ハルヒダンス」が一つの時代を象徴していったことはオタク的な感性の「建前」と「本音」のバランスが一方に崩れていくターニングポイントだったように思う。ハルヒは心の底では、宇宙人も未来人も超能力者も必要としていない。彼女が欲していたのはオカルト研究会的な「部活動」での等身大の青春でしかなく、そのことを認めよう、それは恥ずかしいことでもなければ敗北でもない、と結果的に宣言してしまったのが同作だった(「セカイ系」から「日常系」へ)。

そして『らき☆すた』はその実践としての萌えキャラに偽装した(萌えアイコンをアカウントに用いた)オタクたちの「おしゃべり」の快楽で、なんでもない郊外都市の風景を「聖地」にしていくプロジェクトだったと言えるし、『けいおん!』はそれでも圧倒的に存在し迫りくる「現実」を実質的に男性も時間経過も成長(老い)も排除して日常の平和な一コマだけを切り出したユートピアとして提示する(『ごはんがおかず』的イデオロギー)ことで支持を獲得した……と「ひとまずは」整理できる。

しかし時代は日常系から「なろう系」にシフトした。これは要するに、現実の一部を切り取って神聖化するのではなく、迫りくる現実に一度「降伏」し、これまで直視してこなかった階級や性的コンプレックスの問題を直接的にヒーリングするサプリメントに徹しよう(たとえば自己が「無双」できる異世界に「転生」することで……)ということなのだと思う。

要するに京都アニメーションが結果的に体現していた「セカイ系から日常系へ」の流れは、どこかで現実に「抵抗」しようとしていたのだと思う。過酷な現実に降伏し、その辛さを緩和するサプリメントを供給するのではなく現実の肯定できる部分を(ジェンダー的、倫理的に保守的なイデオロギーと結託していた側面は否めないが)それなりに真摯に見つけ出そうとしてきたという側面は確実にあったと思うのだ。

では、「なろう系」の拡大と並行して制作されていったこの『響け!ユーフォニアム』はどう位置づけられるべきか。端的に言えば、この作品は「現実」に回帰している。「スクールカースト」的なものを、オタク同士集まって「青春」することで無化しようとしたのが『涼宮ハルヒの憂鬱』から『らき☆すた』への流れで、そして現実の一部を美化することで逃れようとしたのが『けいおん!』だった。対して『響け!ユーフォニアム』は「学園」という現実を受け入れている(その意味において本作はライトノベル的ではなくジュブナイル的だ)。要するに、『響け!ユーフォニアム』は「目標」に向かって努力することを、より卑近な表現を使えば半ば「スポ根」化することで、「日常系」からも「なろう系」からも背を向けたのだ。

より詳しく解説しよう。

『響け!ユーフォニアム』は半分は確実に70年代的な「スポ根」に回帰している。

そのことで、たとえばスクールカーストといった問題は、結果的に無効化されている。「全国大会出場」という「目的」の前では、演奏能力だけが問われ、スクールカーストの上下も学年の上下も無効化される。そして物語はこのコンクール至上主義というイデオロギーを内面化した主人公(久美子)がリーダーとして成長し、彼女が部長を務める年のコンクールの全国大会で金賞を獲ることで完結する。

だが一方でこのイデオロギーにはかつての「スポ根」とは異なる側面が存在する。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

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