土地の「食」の豊かさをどう伝えるか(『マタギドライヴの旅 #9)
すっかり長くなってしまったこのシリーズだが、あと2回か3回で終わる予定だ。今日取り上げるのは阿仁地方の「食」だ。座談会の収録が終わったあと、僕たちは益田さんの手配してくれた「飲み屋」的なお店(平八)で夕食を取った。僕はいわゆる「飲みの席」というのが苦手なのだけど、土地のおいしいものをしっかり出してくれる店だと聞いて、楽しみにしていた。そして、結論から述べると端的に言って「最高」だった。
上記のリンクをたどれば分かるように、「食べログ」ではレビューがつかなさすぎて点数が表示されていない。しかし、ここは本当に素晴らしかった。
まず感動したのが、夏の山菜たちだ。山菜というと春の食材のイメージを抱きがちだが、夏には夏の山菜の良さがある。きっと当たり前のことなのだろうけど、人生の1/3くらいを新宿区で過ごして、心身が汚染されてしまった僕には新鮮な体験だった。山菜の多くは、しっかり調理すれば(アクを抜くなど)、野菜よりも味が濃く、瑞々しい。最初に出てきたプレートには、山菜を中心にちょっとした前菜が並んでいたのだけれどその「強い」味わいに、僕はただひらすら感動した。
特に右下のトンビマイタケのにんにく味噌和えは、これだけで十分おかずになる、というか常備しておきたい「飯の友」にピッタリの逸品だった。
また、昼に食べた馬肉を僕はここで夜も食べることになった。この山菜煮込みも素晴らしかった。馬肉の力強さを、ミズ(ウワバミソウ)と一緒に煮込むことでクセなく楽しめるのがこの煮込みなのだけど、馬肉そのものの柔らかさにも感激した
この煮込みに入っていたミズ(ウワバミソウ)は、昼間に益田さんが何度もこれがそうだと教えてくれた植物で、この食卓の主役だった。この土地の人々はこの季節にはずっと、このミズを食べてきたのだろう。
そしてさらに感動したのが、追加で出してくれたイワナの唐揚げだった。これがまたうまかった。
同じ淡水魚でも、鮎とはまた違った味わいがあった。鮎をたべるとき、僕たちは肝の苦みで皮と身の旨味を引き立てる……といった楽しみ方をすることが多いと思うのだけど、イワナを頭からバリバリやると、味の強いスナックのように直接的な香りと旨味が広がっていく。その体験を最大化するために、薄くつけられた衣があって、カリッと揚げられていたのが伝わってきた。
口直し的に手で来た味噌を乗せたキュウリもすばらしかった。キュウリというよりはほとんどウリの一種(まあ、もともと両者は似たような種なのだろうけど)のような大きなキュウリで、とても瑞々しく、甘すぎない大人向けの果実を食べているような気分になった。そしてこれに自家製らしい味噌がまた、絶妙に合った。
本当に素晴らしい食の体験だった。
しかし食後に僕達を送ってくれた益田さんから聞かされた話は、なかなか考えさせられる内容だった。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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