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誰かに認めて欲しくて他人にマウンティングしたりSNSでイキるのをやめられない「寂しい人」は「独り」で「止められなくなる」ことを見つけたほうがいいという話
月初なので、意識が高いことを書いたほうが気持ちが引き締まると思わなくもないのだけど、そんな気分ではないので、今日はちょっと日常的な、でも……というかそれだけに大事なことについて書きたいと思う。僕も先月45歳になってしまったのだけれども、こうしてこの年齢になってみてつくづく思うのは、人間は「他の誰かに認められる」こと以外で満たされることを覚えておかないと、年齢を経てからかなりキツくなってしまう……ということだ。
そして結論から先に書いてしまうと知識とか教養とか、あるいは趣味……のようなものはむしろ「そのため」になるのではと僕は思っている(したがって僕はビジネスに使える教養云々といった発想がとても苦手だ)。
どういうことか、その理由をこれから書いていこう。
あなたの側にも、職場や趣味の集まりなどでとにかく他の誰かの言ったことを否定して自分が上だと見せようとしないと気がすまない人や、SNSで(自分のことは棚に上げて)目につくものにとりあえず毒ついて強くて賢い自分をアピールしている人は多いと思う。
そもそも僕は世界でいちばん醜いものは「お父さんだけが楽しい家族の観光旅行」と、「オーナーや社長(管理職)だけが楽しい職場の飲み会」だと思っている。共通点は共同体の中心にいる人たちが自分たちの承認欲求のために周辺にいる人たちを犠牲にしていること、だ。
たとえ共同体の周辺に配置され、端役や下手したら悪役を与えられてしまうことが分かっていたとしても、人間は共同体(コミュニティ)を(それがないと、生きていけない環境ではなくても)求めてしまうのは、敵と味方を峻別して、あなたは味方の側ですよと「承認」してもらう安心感を得たいからだと思う。共同体が常に外部の「敵」と内部の「いじめてもいい人」を要求するのはこのためだ。
じゃあ、こういった欲望はどう相対化したほうがいいのだろうか。一番ダメな答えは「強い個体」になって耐えろ、というものだ。これはあまり現実的じゃないし、なにより「強くなって耐えろ」は事実上何の解決にもなっていない。地球温暖化に対して「耐えろ」と言っても海面はしっかり上昇するのだから。
では、どうするのか。
ほとんどの人は「他者ともっといい関係を結びなさい」と説教する。これはそのハートフルな外見に反して以前この記事で書いたように、一番弱肉強食的と言うか、新自由主義的な発想に基づいていると思う。
僕の考えはもっと強い欲望で相対化するしかない、というものだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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