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兵庫県知事選挙について

さて、本当は来月1年ぶりに出す新刊の宣伝をした方が良いのだろうけど、今日は兵庫県知事選について考えたことを書こうと思う。

このけんに触れると、その瞬間に「お前はどちらの味方か」と問い詰められそうだけれど、僕がしたいのはそういう話じゃない。とりあえず僕が兵庫県に暮らしていたら斎藤元彦には投票しなかっただろうと思うが、僕の興味はもうちょっと手前の、メディア状況とか民主主義の制度疲労とか、そういったところにある。

最初に確認しておきたいのは、今回のけんで一番醜悪なのは後だしジャンケン的に「リベラル」を攻撃している人たちだ。負けた方に石を投げることで、自分を強く、賢く見せることで同じように「自分は強い、賢い」と思い込みたい、周囲にそう見せたい人たちに課金/投票させる「冷笑マーケティング」はこの国に定着して久しいが、ウッカリこういった言説で気持ちよくなっている人は、まず自分の鏡を見て自分の卑しさと向き合ったほうがいいだろう。

次にこのけんで先の衆議院選挙の自民党+公明党の過半数割れと、国民民主党の躍進、立憲民主党の野田体制による相対的な中道化などの要因によって結果的に醸成された「対決より対話」ムードに大きく水がさされてしまったことも指摘しておきたい。僕はこの点がとても、とても残念だ。その点においても、僕はリベラル派は半ば目的化した攻撃性を反省するべきだと思うし、改革派は(「敵の敵は味方」論理でネトウヨをOKにするのは「論外」として)左派叩きで心の弱い人を動員する「冷笑」仕草を反省するべきだと思う。

その上で、今日は以下の4つ論点について書きたい。

1.陰謀論(検証の不十分な情報)の流布の有効性が証明されてしまったことにどう対抗するか
2.
ハラスメントの「告発」がしづらい世相にらなるリスク
3.
若年層の体制不信に対する過小評価の問題
4.
リベラル勢力が「改革」を敵視することで本来の使命を忘れている問題

では、ひとつずつ見ていこう。

1.陰謀論(検証の不十分な情報)の流布の有効性が証明されてしまったことにどう対抗するか

メディア論や情報社会論の立場からは、やはりこれが気になる。斎藤元彦のハラスメントについては、今後の百条委員会などで明らかにある程度なるのだろうが、ポイントは「たとえ結果的に正しい事実が含まれていたとしても、未検証の情報を信じたらその時点でそれはNG(陰謀論)」だということだ。

SNS上の斉藤支持者や、後だしジャンケン的に左派を攻撃して集客する言論人は「リベラルがまた敗北した、ザマァ」とはしゃいでいるが、これは別に左右イデオロギーの問題ではない。いまはしゃいでいる人たちは、同じ手法をリベラルが用いて報復される可能性をきちんと考えたほうが良いだろう。僕はこのまま「何でもあり」の状態を放置すると、結局モラルの低い広告屋とかを除く全員が損をするゲームになるだけだと考える。

もちろん、将来的には(最大限に慎重になるべきだが)SNSプラットフォームに対する規制の動きも出てくるだろうし、選挙制度見直しの動きも(ほぼ全員が損をするので)出るだろうが、当面は「地獄」が待っている。これはもう、避けられないだろう。

2.ハラスメントの「告発」がしづらい世相になるリスク

そして、こういった民主主義の制度疲労の問題とは別に、斉藤知事の勝利は「ハラスメントの告発がしづらい世の中」に「世間」を傾けてしまうだろう。これは確実に日本の人権意識を後退させる。百条委員会の展開によっては斉藤派の居直り的な態度は厳しく裁かれるべきだと思うが、同時に反斉藤派が不用意にハラスメント告発を政局利用した側面についても、しっかり再考が必要だと僕は思う。

3.若年層の体制不信に対する過小評価の問題

SNS上では反斉藤派による、「愚かな若年層がXとYouTubeにより斉藤派に洗脳された」的な総括が目立つが、さすがに構造を単純化しすぎている。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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