「サウナ」でも「ていねいな暮らし」でもなく
今日は丸若裕俊さんとの定期的なミーティングの日だった。彼とは歳が近いせいもあるのか、しばらく連絡していなくても問題意識がシンクロすることが多くて、いつも驚かされる。そして今日のミーティングもそうだった。
前回のミーティングで僕たちは自分たちのアプローチは一度、コロナ禍という100年に一度のパンデミックの前に完全に負けたのではないか、という話をした。
僕たちは(国内的には「震災後」の)プラットフォーム化する社会のもたらす過剰接続に対して「抵抗」を試みた。それが僕にとっては「遅いインターネット」という啓蒙運動だったし、丸若さんにとっては渋谷の「GEN GEN AN」が代表する試みだった。しかし、コロナ禍のような世界規模の、世界を強制的に一つのムラ(グローバル・ビレッジ)につなげる力が発生したとき、僕たちの「抵抗」は充分に力を発揮しなかった。それが前回の「反省」だ。
ではどうするか。これからは抵抗のために、流れを「切断」するのではなく、接続しながら抵抗しなくてはいけない。接続し、流れを受け入れながらも自分を失わないユニークなアプローチを探さなくてはいけない。そしてその流れに「毒」を流していかないといけない。それは、「人は流れに乗ればいい」という体制を「ハック」する考え方でもなければ「抵抗することそのものに意味がある」という左翼的な敗北主義とも違う第三のアプローチなのだ。
これが前回の議論のおおまかな内容で、ではどうするか、ということを今日は話し合った。僕たちはたとえば「さらに切断する」というアプローチは取らない。かつてのヒッピーじゃないけれど、本当に中山間部や漁村に引き上げて、ここに資本主義の外部があるとか、自然に囲まれた「本当の暮らし」があるとか、少し考えれば嘘だと分かるようなポジショントークで誤魔化すような人生は歩めない。それはそれこそ半世紀以上前にヒッピーたちが証明した、すでに行き止まりだと分かった道だからだ。
むしろ僕や丸若さんが思春期を過ごした90年代は、こういった「外部のなさ」が前提になっていた時代で、だから僕のような地方のオタクはアニメやゲームの架空世界ーーそれはサイバースペースによってやがて現実と接続させられてしまうのだがーーに擬似的な「外部」を見出そうとしていたのだし、丸若さんのような都会のお洒落な人たちは渋谷や原宿のストリートの混沌に、つまり内部のもっとも混乱した部分に、確率的に外部への穴がポッカリ開く可能性に魅せられていったのだと思う。そして前者の「オタク」的なアプローチはオウム真理教の地下鉄サリン事件と『エヴァンゲリオン』現象で思想的な脆弱性が顕になり、後者の「サブカル」的なアプローチはベタに資本主義に敗北して衰退し、自意識の問題にしか関心のない消去法で文化系のキャラを気取るしかなかった人たちの見栄の受け皿にしかならなくなった。
こうした失敗とその結果出現した「荒野」の中で、僕も丸若さんも試行錯誤してきたのだけれど、いま、考えていることは要するに中距離性をどう確保するのか、という問題だ。
接続しているが流されないために、中距離性を保つこと。そのために、僕たちが今考えてるのは「暮らし」のレベルでアプローチすることだ。それもいわゆる「丁寧な暮らし」みたいなものとは少し……いや、かなり違う。僕たちが考えているのはそのような「意識が高い」ものではない。食べるものや飲むむもの「正しさ」とか「生産者の思い」のようなハートフルな物語の力ではなく、単にうまい、香りのよいものの力で暮らしの中に流れる時間がいつの間にか、結果的に変わってしまう……そんなアプローチだ。厳しい修行をしてたどり着く高みというよりは、貪欲さやミーハーな好奇心に釣られてしまった結果、時間の流れ方が変わってしまうような、そんな体験を読書や喫茶を通じてどう作るかが問題なのだ。
僕が都心でカブトムシを探すことを好むのも、丸若さんが糸島を拠点に定めたことも究極的には同じ理由だと思う。
僕は都心の、つまり都市の文脈に回収されない「穴」のような場所を探すことで、自分が流されないようにしている。僕のようなポジションで仕事をしていると、後出しジャンケンで左翼にダメ出ししてコンプレックス層に課金させたり、リジェネラティブな文脈で哲学や人類学の「いい話」をしてブランディングを気にしている法人からカネと名誉を得たりする誘惑に常に晒される。そこに流されたとき、人間は何も考えられなくなるし、何も産めなくなる。それを僕は単に「心がける」だけじゃなくて、「住む」とか「暮らす」とか、そういうレベルで相対化している側面が確実にあるのだ。
丸若さんが、ティーパックの販売に力を入れているのも、たぶん同じ理由だ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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