「雑誌文化」の終わりと物書きの生存戦略についての私見
今日はあまりこういう話題は好きじゃないのだけど、さすがに思うところがあるので、業界やキャリアの話をしたいと思う。
先日、ライターの唐沢俊一さんが亡くなった。僕はあまり彼の仕事に関心がなく、その良し悪しを判断できる知識はない(そもそも世代的に唐沢俊一の仕事に惹かれる上の年齢の「オタク」たちに若干距離を感じていた)。盗作については完全にアウトだと思うし、伊藤剛さんに対する「イジメ」も(いまだにこういう文化が言論界に残っていて、大手出版社や新聞社の社員すらもそれを「お付き合い」的に黙認しているのを知っているだけに)憤りを感じる。近年の「ネトウヨ化」については、最近までそのことを知らなかったので、ひどく驚いた。しかし今回この話題を取り上げたいのは、氏のことではなくてこの「孤独死」の背景にある文化産業の問題だ。
町山智浩さんなど、彼と同時代の出版業界を生きた人たちが複数指摘しているのだけれど、80年代、90年代の「雑誌の時代」に最適化したプレイヤーほど、今日の状況に適応できなくなってしまう問題があるようだ。まあ、唐沢氏の場合はそれ以外にも「詰む」要因が多すぎて、あまり当てはまらないかもしれないけれど、僕が気になっているのはあくまでこの「構造」の問題なので、一旦忘れよう。
そもそもの問題として、年齢を経ると仕事のオファーは変わってしまう。たとえば僕もシンポジウムやトークセッションに呼ばれると、最近は「登壇者で自分が一番年上」なんてケースも増えてきた。そういうときはたいてい「後進を温かく見守る(世代交代で淘汰される側を演じる)」役を与えられるので、まあ、40代も半ばになるとそうなるよなあ、としみじみ思う。しかしこれはたぶん、恵まれている状況にあることを意味している。要するに「若手枠」じゃなくなったあとに「中堅枠」や「老害枠(笑)」に収まるということができないと、単純に「詰む」プレイヤーはたくさんいて、僕は運良くその「中堅、老害枠」に入れてもらっているということなのだと思う。
あと、ここで重要なのは僕について言うと、そもそも10年以上前から原稿料や印税や出演料で「食べていない」人間であることだと思う。これは半分は狙ってやったことで、半分は結果的にそこに落ち着いたことなのだけど、僕はかなり収入源が分散していて、自社以外から受けた仕事で書く/話す仕事は収入の1/4くらいだ(最近はもっと低い割合だと思う)。他の仕事も、同じくらいの経済的な規模のものがいくつかある、といった感じだ。
あまり細かく説明すると長くなるので省略するけれど、僕はいろいろな仕事をやっていてーー幸いにして「やりたくない」仕事はほとんどやっていないーーそのせいで忙しく、さすがにこの年齢になると体力的につらい場面が増えて少し調節しないといけないと痛感しているのだけど、おかげで「これがなくなったら自分は終わりだ」みたいな仕事が(経済的には)ないのだ。
そのことが、結果的にだけど僕をすごく自由にしていると思う。このnoteだって、今でこそ(予想外に、それもビックリするくらい購読者が増えて)結果的に大きな収入になっているけれど、もともとは知的なエクササイズとして、炎上リスクの低い場所で「先日考えたことをまとめる」というコンセプトではじめたものだ。
僕が、誰かを貶める言説を毎日のように発信してコンプレックス層に課金を煽るようなビジネスに「闇落ち」しなくて済んだのは、こういう理由もあると思う。なんというか「正気」でいるためには、経済的に「自立」していることが重要なのだとつくづく思う。「自立とは依存先を増やすこと」という熊谷晋一郎さんの言葉があるが、これはクリエイティブなフリーランスの仕事についても当てはまると思う。
こうして考えたとき、「業界」の潮目を読み、「みんな(=自分が認められたい共同体のマジョリティ)」が嫌いそうな人や界隈を叩いて株を上げて仕事をもらうーーみたいな仕事をしている人はかなりキツくなっていくのではないかと思う。
では、どうするか。まあ、いろいろな考えがあると思う。たとえばそもそも世界には物書きが多すぎるという考えも、一理あると思う。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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