これからの都市開発/まちづくりに必要なのは「賑わい」や「盛り上がり」では「ない」という話
昨日は僕が責任編集を務めた『2020年代のまちづくり』の刊行記念トークイベントだった。石川由佳子さん、井上成さん、指出一正さん、藤村龍至さんという、見る人が見ればなかなか凄まじい面子の議論の司会は想像以上に大変だったけれど、その分手応えがあったようにも思う。
今日はその議論を経て考えたことを書こうと思うのだけれど、昨晩の議論をもっとも象徴するのは井上成(三菱地所)さんのいう「境界を溶かす」というキーワードだろう。これは単に柔軟にことを進めようとか、多様性を大事に社会の分断に抗おうとか、そういった耳障りの良いキャッチフレーズではなくもっと具体的なものだ。それは例えば藤村さんのいう「都市計画(政治)」と「まちづくり(運動)」の両輪が欠けてはダメだ(95年以降の四半世紀は前者が欠如していた)という指摘は、言い換えれば「都市計画」と「まちづくり」の教会を溶かすという知恵が必要だということでもあるし、指出さんが(多くの選考する地方移住ブームの担い手からの批判を覚悟の上で)これからは「移住」ではなく「関係人口」に重心を移そうと主張をはじめたのは、彼なりの一連の地方創生的な「運動」をスローフード好きのクリエイティブ・クラスから、「普通の人」に拡大するための「戦略」なのだ(つまり、ここでも「境界」の破壊がターゲットになっている)。
そして「境界」を溶かすための知恵が壇上では議論されたのだが、僕は一晩経って少し違うことを考えている。それは「境界」を溶かすことで僕たちがつくりたい「都市」の価値とは何か、ということなのだ。そして結論から述べれば……というか、それはそれぞれ違うのだろうけど、僕にとってそれは端的に言えば「弱い立場の人に優しい都市」だ。そしてその一番の(意外な)「敵」とは「賑わい」や「盛り上がり」への信仰のようなものだと僕は思うのだ。
どういうことか。たとえば、僕は「大学」ではものすごく「弱い」立場の人間だ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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