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左翼的に振る舞うことを恐れてはいけない/左翼的に振る舞うことを目的にしてはいけない
いきなりだが僕は「左翼的に振る舞うことを恐れてはいけない/左翼的に振る舞うことを目的にしてはいけない」というスタンスを取っている(ときに糸井重里は前者を、内田樹は後者を忘れがちだと思う)。
残念ながらいま僕の世代(から少し上くらい)のインターネットを主戦場にする論客の多くが「負けた側」「弱い側」に加担すると自分が愚かに見えることを恐れて、もしくは後出しジャンケン的に勝ち馬に乗って「自分は賢い」と思い込みたい人にアピールしたくて、とりあえず左翼が批判するものはことごとく逆張り的に擁護してしまう。中には安倍晋三政権による公文書の改竄や統一教会の癒着までを間接的に擁護してしまう動きまであり、最低限の倫理を欠いていると言わざるを得ない。
対して、左派も体制批判のためにはデマや風評の類に加担することにためらいのない人々ーー福島の放射能汚染状況について、風評被害の可能性を指摘されながらも非科学的な憶測を発信し続けた山本太郎などーーも少なくない。左派は逆に「自分は正しい」と思い込むため(同じように考える人々を動員するため)に都合の悪いものから目を背けすぎてしまう傾向が少なからずあると思う。
このように「ためらい」のない言説の台頭の背景にあるのは、今日の情報環境にある。この問題については『遅いインターネット』『砂漠と異人たち』で詳細に論じているので、そちらを参考にしてもらいたい。
さてなぜ、こうしたことを突然書き出したかと言うと、今回は非常に「左翼的な」本を取り上げるからだ。斉藤幸平+松本卓也による『コモンの「自治」論』だ。
出版社の記した(と思われる)同書の宣伝文句にはこう記されている。
戦争、インフレ、気候変動。資本主義がもたらした環境危機や経済格差で「人新世」の複合危機が始まった。国々も人々も、生存をかけて過剰に競争をし、そのせいでさらに分断が拡がっている。崖っぷちの資本主義と民主主義。この危機を乗り越えるには、破壊された「コモン」(共有財・公共財)を再生し、その管理に市民が参画していくなかで、「自治」の力を育てていくしかない。
要するに本書は社会の共通資本(コモン)を住民の「自治」で管理することがあたらしい「民主主義」の場に、さらには「資本主義」への「抵抗」の拠点になるのではないかーーその可能性を多方面(大学自治、ケア、精神医学、地域経済、地方行政などなど)から考察した論集だ。
僕もこの1年余り「群像」連載の『庭の話』で、「場所」について考えている。僕が考えているのは、むしろ左右に限らず人間の思考を硬直化させるSNSプラットフォームの重力に対抗できる「場所」を実空間/サイバースペースに設けることだ。
僕は彼らと違い、そこが資本主義の外部であることは求めていない(僕は彼らの述べる資本主義の外部はどれだけ読み返しても資本主義の枠内にとどまっているようにしか思えないし、むしろ資本主義の外部を目指すと述べることそのものが「目的」になってしまい、実効性が問われなくなっているように思う)。しかし、今日の経済構造、情報環境下における「場所」の問題を考える上では参考になると考えて通読した。
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