人間の身体は「森」にどう適応しているのか(『マタギドライヴ』の旅 #10)
さて、結果的に長期連載になってしまったこの秋田(阿仁)への取材旅行記も、次回で最終回だ。取材2日目、僕たちは朝から打当マタギの9代目のリーダー(「シカリ」と呼ぶ)鈴木英雄さんに連れられて、再び狩場入ることになっていた。
鈴木さんは1947年生まれで、今年で77歳。事前にその穏やかな人柄については聞かされていたものの、やっぱりイメージというのは先行しがちなもので、僕は勝手に全身から殺気を放つ気難しい人物を想像していた。しかし現代のマタギは集団による狩猟が基本であり、シカリとなると必要なのは冷静な判断力やリーダーシップに加えて、メンバーのスキルやその日のコンディションを見極めて配置する、言ってみれば「ケア」的な能力なのだという。そして実際にその日の朝に現れた鈴木さんは終始ニコニコしていて、僕たちのちょっと変わった取材を面白がって対応してくれた。移動の最中に、僕が彼の軽トラの助手席に乗ることもあったのだけど、そこで勧めてくれた甘い缶コーヒーの味が、僕の鈴木さんに対する印象を象徴している。彼の人柄が、若い移住者を定着させているという話は聞いていたのだけれど、そういうことか、と僕は思った。
僕たちはまず、林道を進み山の入口にあるマタギ神社に参拝した。現代のマタギのスタイルが江戸時代後期に成立した、比較的新しい狩猟文化であることは前述したとおりだけれど、銃や貨幣経済といったテクノロジーと市場のメカニズムと結託しながらも土着の山岳信仰を失わず、両者が結びついて存在しているのが「マタギ」の面白さだと思った。ちなみに、この神社は鳥居も社もかなり小さく、地元のマタギたちの「手作り」なのだという。そしてこの小さな、手作りの神社を大切にしているところに、この土地の人々の自然観というか、自然との距離感が現れているように僕には感じられた。
神社に参拝後、僕達はつぶ沼という沼に向かった。ここは有名なクマ牧場から少し山側に入ったところにある沼で、狩り場への入口だった。天候が崩れてきたので、僕たちは雨具を装着した。小雨の降る沼の周りはただただ静かで、沼の少し濁った水面は何もかもをすいこんでしまいそうな色をしていた。僕はこの沼の水面を見つめている時間が、この旅で一番印象的だった。昨日益田さんたちがしたのと同じように、鈴木さんは手近な枝を切って、僕たちに杖として使うように手渡してくれた。
そして僕たちは鈴木さんに先導されて、ぐんぐんと森の中に入っていった。そして僕は圧倒された。この鈴木英雄という人間は、僕たちと根本から身体が違うのだ。それは筋力とか、柔軟性とか、そういうことではなく、その身体がこの土地の森と「つながって」いるのだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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