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落合陽一、マタギの里へーー『マタギドライヴ』の旅 #1
『マタギドライヴ』という言葉が、いつから彼の口から出始めたのか、正確には覚えていない。しかし彼の『デジタルネイチャー』という本をつくっていく中で僕と彼、落合陽一君との間では既に次は、これまで書いてきたような「世界はこのように変化する」と分析する本ではなく、変化した世界でどう生きるかを考える本にすることは、暗黙の了解として決まっていたように思う。そして編集の追い込みのころにその「次の本」には「マタギドライヴ」という名前が与えられていた。
なぜ「マタギ」なのかーー会話の中で、この単語が比喩として用いられることがこの時期多かったのだけれど、明確な由来を思い出すことは難しい。はっきり覚えているのはそれがいわゆる狩猟採集民「ではない」ものだという合意があったということだけだ。
もっとはっきり言えば、AIが人間社会の運営の中核を担った「あとの」世界を考えるとき、安易に既存の社会の外部を狩猟採集社会に見出すという失敗のパターンを踏襲してはいけないという合意があったのだ。だから「マタギ」なのだ。それは農耕とその延長にあるものを否定してはいけないし、対立してもいけない、外部に立ってもいけない。むしろそういったものの存在を前提にしたものではなくてはいけない。そしてヴァナキュラーな価値にコミットするものであるべきだ……そのようなイメージを彼は抱いていたはずだ。だから「マタギ」なのだ。農耕(的なもの)を中心とした暮らしの一部として狩猟がある。それは暮らしと信仰が結びついた世界での、自然との対話のかたちなのだ。だからこそ、おそらく彼はこの言葉を比喩に選んだのだ。
そして、執筆が進行すると僕はこう考えるようになった。『マタギドライヴ』はたぶん傑作になる。落合陽一の新しい代表作になるだけでなく、おそらくこれまで彼を表面的なイメージで毛嫌いしていた人たちの何割かは、そのことを反省せざるを得ない内容になる。しかしそれだけに、僕は思った。これは具体的なものにアプローチすることを主張する本だ。だとするとこの「マタギ」を、ちょうどよい「比喩」としてのみ使ってしまってよいのだろうか? この比喩が有効だからこそ、一度でも構わないから彼をマタギたちの生きる里に連れていき、そして一緒に森を歩くべきなのではないか……そう、考えるようになった。
その結果として、いま、僕たちは秋田にいる。正確にはいまは8月14日の夜、僕は秋田空港の食堂でこの文章を書いている。隣では落合くんがオンライン抗議を終えて、稲庭うどんを食べている。
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そう、僕たちは実際に秋田に、阿仁に、その中の打当という集落を訪れた。そして圧倒的な体験をしてきた。この文章は、その興奮の中で書かれている。これは、僕たちの2日間の旅の記録で、そしてその結果僕の考えたマタギについて、打当という土地について、そして来たるべき『マタギドライヴ』という一冊の本についての考察だ。
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9代目シカリの鈴木英雄さんに
山菜のレクチャーを受ける落合陽一。
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落合君をマタギの里に連れて行くーーそう思いついた僕は、まず僕は副編集長の中川大地さんと相談し、そして一人の古い友人を頼ることにした。
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