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「オタク」的な感性の二つの政治性、「押井守的なもの」と「ゆうきまさみ的なもの」

さて、今日は久しぶりにアニメのこと……というかオタク的な感性について書いてみたい。
それは、ゆうきまさみ(新人類世代)と押井守(遅れてきた全共闘世代)のあいだにある「社会」や「政治」についての距離感の違い、についてのことだ。年長のアニメファンに分かりやすく言えば、劇場版「パトレイバー」の「1」と「2」の違いだ。これは僕と同世代のアニメファンの間でよく話題になるテーマで、たとえばニッポン放送の吉田尚記とは、何度このテーマで議論したか分からない。そして僕よりも数歳上の吉田は「1」(ゆうき)に、僕は「2」(押井)によりシンパシーを感じる(決して、互いを否定しているわけではない)のだ。

押井守は1989年の『機動警察パトレイバー The Movie』の公開時のインタビューで、こう述べていた。

こんどの映画でやりたいことを一言で言えば、時代性。今の時代に自分が何を考えているのかを、多少なりとも込めたい。(中略)僕は東京で生まれて東京で育った人間なんだけど、子供の頃から見てきたイメージからすると、この街はもう引き返し不可能点に来ている。膨れ上がるだけ膨れ上がって、パンクするしかない。実際に都市で生活している若い人にはそういうことがよく判っているはずなんだ。

実際、人間というのは、どんどん変わっていく風景には馴染まない。今の東京は形態がどんどん変わるのがウリなんです。都市の変化のスピードに自分の感覚が遅れてしまうことの恐怖。それが彼らの中に蔓延しているんです。
 でも、東京をこんな街に作り上げてしまったのは僕達の世代なんです。そういう意味で原罪を背負っている。それにどうオトシマエをつけるかということ。それは単純に「壊れてしまえ」というヒステリックな表現じゃなく、もう少し他の抵抗の仕方。今の都市環境とかコンピュータ・システムと、どう対応して生きていくかっていうこと。

〈アニメージュ〉1989年6月号より

 要するに、ここで1951年生の押井は「遅れてきた全共闘世代」として、かつての学生反乱の「「壊れてしまえ」というヒステリックな表現」を総括し、「そうではない」別の方法で社会と対峙することを宣言しているのだ。

 押井はしばしば「パトレイバー」の企画チームとして当時距離感を覚えながら接していた「おたく第一世代」ーーゆうきまさみや出渕裕ーーと自分たちの「違い」についても言及している。

 この世代は「新人類」世代とも呼ばれる。しかしこの「新人類」的なものと「おたく」的なものは、同じユースカルチャーでもかなり傾向が異なっていた。前者は音楽やファッションを中心とした都市のストリートカルチャーであり、後者はマンガやアニメを中心とした全国区のメディアカルチャーだった。

 今日における「サブカル」と「オタク」のルーツであるこの「新人類」と「おたく」は、その政治的なスタンスも大きく異なっていた。これらの文化が拡大した80年代は、60年代の学生反乱の時代を席巻した政治性が、「ダサい」ものとして軽蔑された時代だった。「新人類」たちは「政治の話なんてダサくてできない」と、文化的な「戯れ」に「逃走」することを選ぶ一方で、「おたく」たちは虚構の世界で現実の世界からは失われた正義や愛といった「恥ずかしい」主題を、「新人類」的な無意味な「戯れ」と並行してフラットに消費していた。

 そしてここ(後者)には、全共闘的な「抵抗」の自己目的化もなければ、新人類的なファッションとしての「逃走」とも違う、政治的なものとの中距離が結果的に、そして半ば無自覚に生まれていたようにも思う。

そしてこの中距離=「もう少し別の抵抗の仕方」も、二つの道に別れていったと僕は考える。
 それは『パトレイバー2』において結果的に反体制的なテロに感情移入し、特車二課の若い警官たちの青春群像を大きく後退させた押井守と、それに反発を示しあくまで彼ら個人の成熟の物語に留まり、法と秩序の枠内における自らの「仕事」を全うする範囲での社会改良を示すことでマンガ版『パトレイバー』を完結させたゆうきまさみの違いにも表れていると言えるだろう。

 そして僕はより「2」に、つまり押井的なものにより共感を覚える。正確にはゆうきまさみ的なものをベースにものを考えながらも、それを補完するために押井守的なものを重視している。
 それはなぜか?

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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