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#中心をもたない現象としてのゲームについて
創発的現象としてのゲームの二次的フレーム | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。前々回に引き続き、共同注意の概念を通したゲームという現象の読解です。ゲームを成立させている多層的な合理性、その定義の困難は、同時的に複数の水準の要素が発生しながら、分解して分析できない、その特異な性質にあるとします。
中心をもたない、現象としてのゲームについて
幸福な善人の異世界物語 | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は番外編として、ウェブ小説の新ジャンル「幸福善人系」について考察します。物語制作上不可欠とされるはずの、主人公の欠落や進行上の障害を全て排除し、ひたすらストレスフリーを徹底した作品群。その指向性の先にあるものは……?
中心をもたない、現象としてのゲームについて
叙述的共同注意のネットワーク | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。ネット上に存在している他者との親密な関係の生成を促すシステム。ゲームは同様の媒介性を備えながら、同時に他者との衝突を本質とする面も持ち合わせています。容易には接合しえない諸要素からなるゲームの本質、その概念的な整理を試みます。
中心をもたない、現象としてのゲームに
ゲームにとって快楽とは何か――「快楽」説の検討(1) | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。ゲームを構成する様々な要素は、快楽の観点からゲームそのものと区別することはできるのか。これまで議論してきた強化学習プロセスをさらに拡張し、社会の中で自己生成し続ける運動の原理としてのゲームのあり方を考えます。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
ゲームは依存の仕組みなのだろうか?(学習説の他説との整合性⑤) | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。ゲームとは切り離すことのできない問題として語られることの多い「依存」。今回は精神医学的な観点からだけではなく、学習プロセスとの関係性から依存メカニズムの検討を行います。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第25回 ゲームは依存の仕組みなのだろ
駆け引き(学習説の他説との整合性④-2) | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回のテーマもゲームに欠かせない「駆け引き」です。ルールの更新や不平等の不可視化によって「公平性」を感じさせ、自発的学習を促そうとするそれぞれのゲームの戦略について井上さんが解説します。
※駆け引き(学習説の他説との整合性④-1)はこちら
井上明人『中心をもたない
駆け引き(学習説の他説との整合性④) | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は「ゲーム性」において欠かせない要素である「駆け引き」と学習プロセスの関係についてまとめます。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第23回 駆け引き(学習説の他説との整合性④)
3.6 駆け引き(学習説の他説との整合性④)(学習説の他説と
認知的作品 〈いま・ここ〉を切り取ることをめぐって・後編 | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は特別編として、「早稲田文学増刊 U30」に掲載された井上明人さんの論考をお届けします。後編では「切り取られることのない〈いま・ここ〉」を提示し、異なる二つの「作品」の成立について考察します。
(初出:「早稲田文学増刊 U30」、早稲田文学会、2010年)
※前
認知的作品 〈いま・ここ〉を切り取ることをめぐって・前編 | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は特別編として、「早稲田文学増刊 U30」に掲載された井上明人さんの論考をお届けします。ゲームが「作品である」とき、それはどのような事態か。その問いに答えるべく、前編では「切り取られた〈いま・ここ〉」について論じます。
(初出:「早稲田文学増刊 U30」、早稲
リアル異世界物語と、ゲーム的想像力:九井諒子、橙乃ままれ、なろう小説 後編 | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。これまでゲームについて語ってきた井上さんが、番外編としてゲームに強く影響を受けている近年の小説について、ジャンル別に分類/分析します。
※前編はこちら
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第22回リアル異世界物語と、ゲーム的想像力:九井諒子、橙
リアル異世界物語と、ゲーム的想像力:九井諒子、橙乃ままれ、なろう小説 前編<番外編> | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。これまでゲームについて語ってきた井上さんが、番外編としてゲームに強く影響を受けている近年の小説について、ジャンル別に分類/分析します。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第22回リアル異世界物語と、ゲーム的想像力:九井諒子、橙乃ままれ、なろう
ゲームから物語へ(2) | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。前回に引き続き、テーマは「ゲーム/物語」の区分です。今回はブルーナーの裁判についての議論と比較しながら、「物語の階層性」という概念を通じて、ゲームと物語の関係を解き明かします。
※ゲームから物語へ(1)の記事はこちら
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームに
ゲームから物語へ(1) | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。多くの人にとっては「ゲーム」は終わりを迎えるものです。しかし、羽生善治氏や梅原大吾氏などのゲームを生業とするプロプレイヤーは異なる感覚を持っているようです。「ゲーム/物語」の区分から、井上さんが概念の整理を試みます。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームに
我々はどこまでいい加減なプレイヤーたりうるか?―DQ11における「死」について | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。「キノコで巨大化」「人の家のタンスを開ける」など、「メカニクス」と「表象」がしばしば乖離するゲームの世界。今回は番外編として、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』の話題を中心に、「いい加減なプレイヤー」をめぐる問について考えます。
井上明人『中心をもたな