銀行員がフクノネコと共に目指す社会
私が都市銀行を休職して早1年2ヶ月が経過しようとしている。休職に伴い始めた弊社合同会社フクノネも今月で無事初年度を終えようとしている。
フクノネというのは「福祉という大木を支える根となりたい」との想いから名付けた。それと共に生まれたのが当社オリジナルキャラ「フクノネコ」である(記事見出しの右上)。
弊社が行う業界初となる事業や、それに至る経緯は今回の主旨とは少し異なるので、もしご興味持って頂けた方がいれば、以下ご一読頂きたい。
今回ウェルビーイングは「幸せ」と表現されているが、近年では「福祉」と訳されることも多い。それは、福祉の語源が「幸福」からきていることに起因する。今日はそのことについて記していきたい(この後記載するウェルビーイングは「幸せ」の意味でお読み頂きたい)。
最近、とある方から「福祉」と一言で言われても分かりづらい、とご指摘を頂いた。「福祉」は保育・介護・障がい福祉等が代表的であるが、これらはご存じの通り、メディアでは低賃金、人手不足、不慮の事故等ばかり報道され、正直「幸せ」とは相反するネガティブな印象を持たれがちだ。そうした印象に対して、人は皆どこか他人事で、遠い世界の様な目線も感じる。
かくいう私も、自身にこどももいなけば、親もまだ元気。障がいを持つ知り合いもいない。ただの銀行員だった頃には「福祉」を身近に感じることが無かった、というか「見えていなかった」「見ようとしてなかった」ともいえる。よく考えれば、保育は”自分が通ってきた道”であり、介護はこれから”自分が通る道”なのにである。自分が見ていなかっただけでこれまで関わった人の中に障がいを持つ方もきっといただろう。
年齢、性別、身体、心、すべてが1人1人違うのが当たり前なはずなのに、自分と同じであるという前提で生きていたことに気づくと、私にとってのウェルビーイングと、貴方のウェルビーイングも違うという事に気づく。そうした「当たり前に違う」全ての人のウェルビーイングの為に「福祉」があるのだ。
私は「少し先に気づいた者」としての責任として、福祉の根を伸ばす活動をこれからも続けていく。その根が伸びていった先に、違いを受け入れるインクルーシブな社会が待っていると信じているからだ。
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