#16 「わたし」の変化が「暮らし」の変化
春分の日にもう一本。
最近の極個人的なテーマが2つある。
それは、言葉使いと感情をまず味わうこと
社会を変えるより社会が変わる
幸せより喜び
問題があるより問題にしている
広げるより広がる
を好むようになった。
使うことで時勢の観念の影響を強く受けやすい表現に注意するようになってきた。
幸せ、自由、成功、将来の夢、自己責任、常識、普通、本質的、対話etc
言葉は自分なりのイメージもあるけれど、時代というか社会一般でのイメージが強く働きかけてくるところがある。
ぱっと書き出した言葉は最近見直し中だからまだ意識下にしっかり根付いているけれど、使わなくなって久しい言葉は何であった自分自身ではなかなか気がつけなくなる。
人と会って話しをきいて、うんうん、わかるわかるとなるとき、ついついそうじゃないよと批判や否定をしたくなるとき
そんなときこそ、自分が今どんな世界観を生きているのか知ることができる。
言葉への眼差しともう一つは気持ち。
今年は、永らく味わうことができず隠し押し込めてきてしまったのかもしれない気持ちを観てみたくなってきている。
僕は、環境の破壊と働く環境の話しになると何かのスイッチが入りやすい。
人らしく働ける環境や風通しのいい組織の実現はどこか切実なものがある。
例えば、学生時代は特にGoogleの自由でクリエイティブな企業風土に大きく影響を受け、近年では自己探求をベースに据えた人々が集まる(と勝手に解釈している)ティール組織に興味があった。
それだけ強く職場環境や組織風土に関心がいく裏には、所属することが自分らしさを喪失させると信じていたからだろう。
この間、うちの人と話しているうちに薄々は思い当たる節があった。
それは父親との関係性だ。
僕の父親はいわゆる大企業でサラリーマンをしており、幼少期から平日は夜中に帰宅し、週末も仕事をしていたし、ほとんどの時間横になって寝ていた(ように記憶している)。
疲れ切って寝ている様子や酔っ払ってどこか憂さを晴らそうとしている様子の父をみて、一緒に遊びたい気持ちを抑えそっと遠くから眺めていた記憶がある。
簡単に言うと寂しかった。
学生時代になり新聞をはじめメディアに触れると上下関係、日本的本音建前文化、男性社会、競争、資本主義、文化教育芸術への支援が乏しい国家などなど、父から家庭で子どもと過ごす時間を奪った外的要因がたくさんある、またそれが原因で父親があのように働かざるを得なくなっている、
つまり、自分があのような寂しさを二度と味わわないようにするには、世界からその原因をなくさなければならない、と強く思うようになっていった気がする。
そういう色眼鏡で学生時代を過ごし、更に就職先を探し、その仕事内容や企業がその原因を取り除くためにエネルギーを注いでいるならば、寂しさがスタートだったことも忘れ、俄然やる気すらでてくる。
仕事をしている最中は、もしかして、これをやるために働いていると、やりがいを感じ嬉しい気持ちになることだってあるだろう。
だけれども、僕はどういうわけか一直線に頑張り続けることができなくなり、びょ〜んと内省の方向へ人生の舵が切られ、内省ばっかりする暮らしをはじめてしまった。
そして、今、その過程ででてきたのが、かつて置き去りにした気持ち、ここで書いた例でいくと、あの寂しさに寄り添ってみたいという衝動だ。
不快感を伴う気持ちに対してはついつい対処にエネルギーを注いでしまいがちだけれども、その気持ちのことも観てあげないとどこか本当のところ先に進めない気がしてならない。
そんな変化がくるくる起きた2月下旬から3月中旬でした。