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はり裂けるさなぎ【散文】

「アシャ君ぼく死にたいっす」

 京都で後輩に言われた。

 よくわかるよ。と言いかけてわからなかった。ぼくは死にたいなんて言ったことはない。生きて生きて生きぬきたいと常日頃から思っている。

 けど、今はその気持ち、ひとかけらはわかる。生きたいと思っていながら、自分の弱さに背を向けて集めただいすきなものに囲まれた部屋で、死のふちを味わっているぼくにはわかる。

 人生はたったほんのひとつ。たとえばシャツのボタンのかけ違えのようになんでもないことでも変わってしまう。そんなとき足音をたてずに死は近づいてくる。ぴったりとうしろをついてまわる。まるで目覚めない悪夢だ。そうなったとき、ひとはひとりでは弱すぎる。

 あいつは夢をすて、現実を生きることを選んだ。それに対して異論はない。応援したいくらいだ。でも夢をもってがんばってるひとや、自分より弱い立場の人間を、見下すのはやめてくれないか。

 言葉はときにナイフより恐ろしい。

 時間をかけて真綿で首を絞めるように、じわじわひとを狂わせ、最後は殺す。お前がいちばんわかってるはずだ。

 こなごなにまぶした安定剤も役立たずだ。

 命がけでやってるやつとの違いは明白。365の24時間ろくでなしブルース。笑ってくれよもう書くことしかできないおれを。

 おれは生きてる。命がけだから死は背後さ。今自分はどうだろう。もうすこしで限界を迎える張りつめた風船か、今まさに世界に飛び出そうとするはり裂けるさなぎか。

 書くことで救われてきた自分もいる。今もそうさ。だから死にたいと思う君を救いたい。ぼくの小説は救いのないものが多いが、救いがない君のことがわかると寄り添いたいからそうなるんだ。いつか大勢のひとを救いたい。その手段がぼくにはこれしかないだけだ。

 なんだ変な宗教家みたいだ。

 この旅でいろんなやつらと出会えたけど、いろんなやつと別れてきた。桜は散った3月の沖縄。来年の春にはなにが待ち受けているのだろう。また書いたことでぼくは意識をとりもどした。

 最後に仲間たちへ。

 クソヤローども、どんぶりいっぱい愛してるぜ。

 ピース。

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