青山実験工房の~サティ・武満徹・フェルドマンと能との出会い~を観ての感想。
2月16日 19時 高知県立美術館の能楽堂に静寂が訪れた。観客は、舞台を固唾を呑んで見守り、ただただ静かである。
高知県立美術館で青山実験工房の~サティ・武満徹・フェルドマンと能との出会い~を観た。
能舞台を観るのは、はじめてだったので、図書館で能について調べた。能は動きと音楽だけで情景を表し、観客の想像力によってその時見える情景が変わること 600年をかけて大成された日本が誇る演劇であること 能面はとても美しく、何年も何年も伝承されてきたこと を知った。
観た。
前半。能舞、ピアノ、カウンターテナー、能管などが能舞台の上で圧倒的静寂に包まれ、行われていた。
よくあるポップやクラッシックの聴き応えのある音楽ではない、こちらが想像を働かせないと観えてこない、音楽。ただ淡々と、情景が「そこに在る」音楽。
目を見開くと、春の暖かい陽射しとなんだか優しい匂いを感じた。毛穴を開くと、夏の暑い日差しのなか、竹やぶの中で少し寒い風を感じた。喜びのエネルギーがどんどん無くなっていくのを感じた。気づけば冬になっていた。この喜びのエネルギーの衰退は、四季の移ろいではなく、人間が自然を破壊したことで起きたとさえ思えた。それほど「冬」は、厳しく、不穏で怒っていた。
とても良かった。
一見、能とは関係のない、この音楽たちを「能舞台」として観ることで、想像力を働かせることができた。一歩踏み出し、情景を感じ取ることができた。
本に書かれていた「能」とは違ったが、あの空間は「能」の世界だったのだと思う。
後半。照明と能舞の掛け合わされた能舞台だった。ただただ美しかった。
舞台上に、光が舞う 能役者が、光を持つ 舞台上に張られたシートによって、光が十字に分かれる 能面に、当たる。
美しい世界は、ただ淡々と時間を動かして行った。あっという間だった。
今回の公演を通じて、「能」という空間がただただ愛おしく思えた。日本が、こんなにも自由で、余白に溢れた、美しさの視点を持っていたことに気づけた。行ってよかった。