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書店の変貌

書店の衰退が言われるようになって久しい。実際、大手の書店でも店舗数を減らして業務を縮小しているところは枚挙にいとまがない。いわんや、小さな、街角の書店である。

駅前からちょっと歩いたところにあるような、こぢんまりとした個人の書店は昔に比べてずいぶんとその数を減らした。そもそもこういうタイプの書店は、モータリゼーションの大波がやってくる前から存在したもので、その後、書店も郊外化の潮流に飲み込まれるようになってからは衰退した。

大手の書店だって苦戦しているのだから、中小の書店が衰えないわけはない。アマゾンをはじめとするネット書店の興隆で、欲しい本を探していくつもの書店を渉猟するようなこともほぼなくなってきた。

ふと気づくと、本もまた「第二の波」(=産業革命の時代)の産物であることを認識せざるを得ない。ベストセラー100万部のお約束が意味するように、本もまた大量消費主義の申し子になっていたのである。

それでも、潮目は変わり始めている。先日私が友人たちと初めて訪れたある書店は、住宅街の中にある<アートブックショップ>で、ちょっとしたギャラリーのような雰囲気があり、古書と新刊本の両方を扱っていたのだが、そのラインナップが凄い。

従来の小型書店のイメージは、店内にうず高く本が並べられ、空間を書籍が埋め尽くすといったものだった。しかしその店、「りぶらりお」では、陳列に余裕があり、なんでもかんでも並べるというような効率主義的なスタイルをとってはいなかった。全体の冊数は、ふつうの小型書店の半分以下くらいだったろうと思う。

それにもかかわらず、各棚に必ず一冊以上、私の関心を強く惹く書籍が並んでいた。在庫の冊数が少なくとも、その吸引力が強烈なのである。これにはまったく感じ入ってしまった。ブックオフに数年通い続けても見つけることのできない本が、ここには何冊、何十冊と並んでいるのである。

恐るべき濃厚さである。愛書家の心臓をわしづかみにするようなセレクトがなされている。いちばん参ったのはアンドリュー・ワイエスの画集であった。ほぼ風景だけで構成されていたこの画集は、オーナーが自ら紹介してくださったのだが、その素晴らしかったこと。お値段もなかなか立派だったが、財布がもう少し重ければ買ってしまっただろう。

店内至るところに名著があり、それは増刷されない貴重な文庫本などにも及んでいる。カート・ヴォネガットの『青ひげ』を文庫で見出すとは思わなかった。そして、あちこちで感嘆の声を上げると、オーナーが「皆さんの食いつきが素晴らしい」と言ってくださるが、さらに驚くべきは、そうして話題にした本や作家について、オーナーが必ずコメントしてくださったことである。

つまり、おそらくは、この「りぶらりお」はオーナーの読書量の凄さをそのまま反映しているのであろう。実際に読んで良かった本しか置かない、と言われているようでもあった。

巷の大量消費主義的書店や同趣旨の古書店では得られないような本との出会いが、こういう新しいタイプの書店には期待ができる。「りぶらりお」よりずっと店舗面積の広い、在庫冊数の豊富な書店でも、かような濃度で自分の好きな本との出会いを経験したことはなかった。

<アートブックショップ>とは、美術系・芸術系の本を置いてあるという意味だけではなく、書店のあり方そのものが芸術的であるということではないのか。そんな風に自分は考えてしまったのである。

これからの書店の一部は、大量生産主義的に市場に出回った印刷物としての本を商うというよりは、本を選び、本を語り、本とともに何かを創出してゆく芸術的な場になってゆくのかもしれない。

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白鳥和也/自転車文学研究室
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