「急行東海・断章」(中編小説/その3)
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五番線に停車中の電車は、急行東海七号、静岡行きです。まもなく発車します。次は大船、大船に停まります。この電車は定期券ではご乗車になれません。普通乗車券と急行券が必要になります。急行東海七号、静岡行き、まもなく発車します。
圧縮空気がドアを閉めると、君が乗っている急行東海は横浜駅のホームから滑り出した。横浜は保土ヶ谷区に以前女ともだちが住んでいて、何度か訪ねたことがあった。小田急線の相武台と東海道線の辻堂にも行ったことがあったし、夫が運転する車で二四六号や一二九号を通ったこともあった。
横浜の山の手が象徴するごとく、神奈川県というのは東京以上に坂ばかりで、それというのも台地状の地形が多いからだった。都会というものは平たいところにあるものだと思い込んでいた高校生までの君からすると、意外そのものだった。
横浜を出て、保土ヶ谷、東戸塚、戸塚あたりの駅を通過してゆくあたりでも、そういう風景が眺められた。バブルの波があらかたの空き地を宅地や集合住宅に変えてしまう前は、東海道本線の傍らにも、小さなジャングルのような緑が残っていたものだ。
バブルの時代は都市の景観も変えたけれど、郊外の風景も変えた。どこまでが都市で、どこまでが郊外なのかがわかりにくくなった。
あれは、八十年代で、Nと別れたあとまだ結婚する前で、バブルなんて言葉もまだ使われていなかった頃だったのかもしれない。
君はそのときもこの急行東海に乗っていた。
駅は大磯だったろうか、二宮だったろうか。急行東海の停車駅ではなかったから停まりはしなかったはずだけれど、ホームを通過してゆくとき電車は速度は緩めていたと思う。東京駅からずっと、東海道線は街や家並みから、ちょっと離れたところを走っている。そう感じさせるのは、切り通しのように線路を造ったために、無味乾燥なコンクリートの法面が続いているところとか、周囲より少し高い築堤に線路があって上から目線になっているとか、うるさそうな幹線道路や変わりばえのしない側道とか、面白くもないフェンスや塀が街と線路のあいだに連なっているとか、そういう風景ばかりが目立っているからだ。
その駅では、東京を出て初めて、人の住んでいるところのすぐ脇を電車が通っていった。手を伸ばせば届きそうなところに、民家の切妻の屋根があり、物干し台があった。一瞬で流れ去る路地があった。
広告看板が消え、もう駅を抜けてゆくと思ったくらいのところで、君は忘れられない風景を見た。
レンガ造りの低い塀に囲まれた裏庭で、小学校高学年くらいの女の子二人がリコーダーを吹いていた。戸口のようなところに並んで腰掛けて、吹いていた。それだけだったらどうということもないのだが、二人は同じ顔をしていた。双子の姉妹だったのだ。
電車の車窓がその光景を切り取っていた時間は数秒にも満たなかったはずで、なぜその刹那に二人が双子であったことまでわかったのか、考えてみれば不思議だった。しかし確かにそのとき君はその姉妹を記憶に焼き付けたのだった。二人ともカチューシャをしていたように覚えている。
一瞬のうちに流れ去り、消え去ってしまった双子の姉妹は、二人の意志や思いと関係なく、君に何かメッセージを伝えているように思えてならなかった。
一人っ子の君には、姉を持つことも、妹を持つことも、兄や弟がいることもよくわからなかった。だいたい両親とも奇妙な距離感があって、家にいても、学校のクラスにいても、自分自身はどこにも嵌らないで残ったジグソーパズルのピースのように感じることが多かったのだ。
なんでそうなっちゃうんだろう、と君は何度も自問した。記憶に焼き付いた双子の姉妹にすら、そう問いかけたことがあったかもしれない。
すると双子はあるとき君の夢の中に現れ、声を揃えてこんなことを言った。
「こっちへ来ればいいよ、お姉ちゃん」
だめよ、私はそっちへは行けないの、私は電車からあなたがたを見ていただけなんだから。
「どうして? 私たちのお姉ちゃんなのに」
お姉ちゃん? 私には妹はいないの。一人っ子だったのよ、ずっと。
「一人っ子の人なんていないよ、ねえ」
「一人っ子の人なんていないよ、うん」
そこで姉妹は初めて別々に口を利いた。現実だったら吹き出してしまうかもしれないその様子が、夢の中では少しも面白おかしいようなことではなく、至極まっとうな返答のように思えた。
「だからこっちへ来るといいよ」と二人はまた一緒に、言った。
私はどこかへ行ったと言えるのだろうか、どこかへ行ったとすれば、何を求めてどこへ行ったのだろうか。
その双子の夢を思い出したときも、そうではなくただ過去を漠然と振り返り、未来と呼ばれる不確かな方角のほうをそっと見ようとしたときも、君はそのような思いにかられては、しばらく物思いに耽った。
Nと別れて数年後の夏、君は同僚の女性に声を掛けられて、彼女の行きつけの飲み屋が主催した野外パーティに出掛けた。さして気乗りのしない会だったけれど、そこで君の好きなロックバンドのファンだという二つ年上のエンジニアと意気投合した。
「本当はミュージシャンになりたかったんだけど、ギターアンプの電子回路いじってるうちに、そっちのほうへ行っちゃったんだよな。もっと若い頃は船大工になりたかったんだけど、じきに木で船作るところもなくなっちゃってさ。昔は浜名湖にも木造ヨット作るところがいくつかあったんだけどね」
よく喋るその男は、浜松出身だった。だからというわけではないにせよ、Nのことで心に引っかかりができていた君には、付き合う、付き合わないといったことを気にかける以前に自分が気楽でいられる存在になった。
西部池袋線沿いの音響機器メーカーに勤めている彼の名は、山木聡一と言った。
ほどなく、聡一と君は休日をともに過ごすようになり、小平の会社の寮を車で出発した聡一が、三鷹でアパートを借りている君を拾い、中央高速に乗っては、富士五湖や八ヶ岳によく出掛けるようになった。
その日も、二人は中央高速をシビックで西に向かっていた。
「ね、ユーミンでベレGが歌詞に出てくるのって、『中央フリーウェイ』だっけ?」ふと思い出しかけた君は、ハンドルを握っている聡一に尋ねた。彼は日本語の歌はあまり聴かない。今だってカーステレオでかかっているのは、君が名前さえ知らないイギリスのロックバンドの曲だ。
「んー、いや、違うな。あれはもっと初期のやつで……『コバルトアワー』だよ、確か」
聡一のシビックはくたびれかけた中古で、談合坂の坂を上っているときなどエンジン音がうるさく、話そうとするといつのまにか二人とも声がシャウト気味になっている。
君はその頃、勤めていた出版社で首都圏の気のきいたカフェを特集するムックを手がけていた。気楽そうに見えて、始めてみるとなかなか難儀な仕事だった。めぼしいところにはちゃんとカメラマンを連れて行って、往々にして気難しい店主の機嫌を伺いながら撮影をしなければならなかった。客に評判のいい店が、必ずしも取材に好意的とは言えないということがよくわかった。
一日に何軒も回ると、いくら自分も珈琲好きだとはいえ、だんだんと味覚や嗅覚も麻痺してきそうになる。もちろん外注のライターも使うことは使う。ただ予算の関係上、大半は自分で記事を書く必要があった。
情報を集める過程で気になった店は、正式に電話で取材の申し込みをする前に、自分でそっと普通の客のふりをして入ってみたりもした。百軒を超える店を訪ねてみて、次第にわかってきたことは、珈琲や飲み物や軽食の質以上に、その店の空気や光の感じ、店主やスタッフの放っているオーラのようなものが、何かを決定づけているということだった。
そしてそれらは、店ごとに異なっていた。
たいしたオーディオも置いていないのに、なぜか音楽や歌声のようなものを感じさせる空間、インテリアの趣味と関係なく、開拓時代のアメリカの田舎の住居のような、野趣と童話的なニュアンスをともに醸し出している造り、寄席そっくりの、気取らない笑いを隠し持っている店、等々だった。
国分寺の商店街の外れにある、目立たない小さなカフェで、君は忘れられない何かに出会った。あまり小奇麗とは言えない路地に面したドアを開けて入ると、店内ではチェンバロの曲が流れていた。カウンターを入れても二十席ないような小さな店だった。カフェというよりは、旧いタイプの純喫茶で、店の夫婦も相応の年齢だった。地上げ屋が横行する直前の話で、皆がシステム手帳を使い始めて間もない頃だった。
ここはちょっと載せられるかどうか微妙だなあ、と君は思った。下見のつもりで立ち寄ったから、それでも特に困ることはなかったけれど、リストから即外す、という判断をするには、引っかかるものもあった。
「青森のエッちゃんからリンゴを送ったってさっき電話があったよ」
「こないだもう雪積もったって言ってたわね」
「あのうちももう人手が足りなくて大変だろう」
「あのあたりじゃどこもそうでしょ。本家のほうだってあと継ぎはいないし」
そんな会話を、店の夫婦は繰り返していたように覚えている。君は、頼んだカフェオーレか何かを口にしながら、きれいにガラスの磨かれた木製の食器ケースや、棚に置かれた彫刻風の磁器、あまり見かけない古風な木製のテーブルとかを眺めていた。
でもいちばん君の目を引いたのは、そういう調度ではなくて、この店に入ってくる光、ただの光そのものだった。君が座った席のすぐそばに、天井が吹き抜けになっているところがあって、そこだけ、曇りガラスの小ぶりな高窓がついていた。
その光の井戸のようなところで、くぐもった明るさが壁の漆喰の凹凸を浮き立たせていた。チェンバロが鳴り続けていて、珈琲豆を煎る匂いがした。
胸が一瞬苦しくなり、それはまるで心臓という時計が止まったかのような切なさで、気がついたら君は深呼吸していた。
ここは、違う国の、違う時代に、つながっている、と思った。
もし自分という存在が、時間も空間も超えて飛ぶことができる鳥のようなものだとしたら、あの吹き抜けの窓を通って別の世界を見に行くことだってできるかもしれない。
そうできなくても、君には直観的に分かった。これと似たような空間の中で、私は長いこと過ごしたことがある。ずっと昔で、きっと千年かそれくらい昔のことで、寒い土地に住んでいた。前世か、もっと前のことなのか、それはわからない。わからないけど、確かにそういう記憶がある。
その店の高窓の周囲や、そこから落ちてくる光や、色のすすけた漆喰の壁、そういうものが、引き金になった。記憶の底に今までずっと沈んでいて、ときどき断片的に浮かび上がってくる細い筋のようなものが、初めてひとつの束にまとまりかけた。君には分かった。
私は、教会のような、塔のような場所にいた。
外は刈り込まれた草の広がっている空き地だ。人の姿がない。私のいる建物の一部は石積みで、その石の壁から少し離れたところに樹が立っている。樹は、あれは何と言う樹なのだろう、まっすぐ空に向かって伸びている部分と、折れ曲がっている部分が混じりあっている。そういう樹を描いた画家がいた。思い出した。たぶん樫、オークだ。
気がつくと、ナースキャップのような帽子をかぶった修道女が何人か、樫の向こうを通って、建物の別の入口に入ってゆく。
私は彼女たちに着いてゆくというより、鳥のように宙に浮いた視点でその後を追いかける。入口は、上が半円のアーチになっていて、頂点にキーストーンがある積み方のようだ。その内側にある厚い木の合わせ扉は中に向かっていて片側が開きかけていて、一人ずつなら人が通り抜けることができる。
建物の中は暗い。その暗さの中を修道女たちは進んでゆく。なぜこんなに暗いのだろう、昼間なのに、と君は思ってから、ガラスというものがない時代だったことに気づく。廻廊を途中で右に折れた。修道女たちは、一様に何かを胸の前に持っているようで、儀式じみた歩き方をしている。
辿り着いた広間でようやく少し明るさが戻る。高窓の木の扉が開けられて、そこから光が射している。細長い大きなテーブルの木目が、その明るさを拾っている。このテーブルも、樫のような硬い木で作られているのだろう。
テーブルのいちばん奥に、誰かが座り、額の前で手を組み合わせて両肘をテーブルに載せている。祈っているのか、苦悩しているのか、よくわからない。質素な農夫風の上着を着ていて、この館か教会でいちおうは客人の扱いを受けてはいる男性のようだが、僧職ではないし、もちろん身分の高そうな人物には見えない。
修道女たちは、それぞれ携えてきた聖具のようなものを静かにテーブルの上に置く。驚いたように中年の男性は顔を上げて、そして絶句したような表情になる。
<「その4」につづく>
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