低空飛行の日曜日 467
今朝も早くに猫からお声がかかり、一旦起きたものの「そのまま起きるの、今日はちょっとムリ…」ともう一度寝てしまったからか、なかなか調子が上がらない。
それなりに起きて、それなりに動いてはいるのだけど…本当に「それなり」でしかないのがよくわかる。
何か失敗するわけでもないし「日常」の形にはなっている。
側から見ればいつもと同じように見えているはずなのだけど…わたし自身の中でははっきりと「それなり」でスッキリしない。
何か消化試合のような時間というか、時計の針が進むのを待つだけの感じが懐かしいような気持ち悪いような、居心地の悪さと重さを一層濃く感じさせる。
こんな「ローギアの自分だからできることってなんだ?」と考えてみる。
この気分と鈍さを吹っ飛ばすには…「掃除するか!」って…もう夕方だ。
ごめんやけど、そんな気分にならない。
「吹っ飛ばそう」「逆を行こう」とすることって勢いとか力がいるんだな…なんて今更思う。
じゃあ「逆になじんでみる」ことに…って思うだけで「ちょっとこれ以上重いのはごめんやわ…」なんて思ってしまう。
なんだよ、勢いとか力とか関係ないじゃん?
そこで思い出す、先日の友人との電話で出てきた「自分の感覚を信じる」という言葉。
うん、今の自分に一番難しそうな言葉。
そして、タイムリーなことに、今自分が一番「ちょっと疑わしいかも…」と思っていること、それが「自分の感覚」だったりする。
感じていると思っていたことが「あれ?これもしかしてわかってない?」と思ったり、もう一度集中してみても「…(わかった感覚)ないかも」みたいな。
そんなことがあちこちで起こっていると、合計してみて「わたし…鈍いんちゃう?」「わたし、なんも分かってないんちゃう?」と底なしの「足りないかも…」が登場する。
ここで友人は言うのだ「その『足りないかも』のトモちゃんを信じんねん」と。
なるほどね…今までの自分は「ある」から信じてきたわけか…「ある」ことを条件になら信じられる、みたいな?
繰り返してきたこと、練習してきたこと…それが時間や経験の積み重ねだったり、それぞれかもしれないけれど。
でもその「信じる」ための条件になっている「ある」状態が「ない」ってことは、条件が満たなされていないってこと。
その「条件が満たされないままの状態」の自分を信じるってこと…だよね…
ってここまで書いてきて思うけど。
わたし、条件が満たされきってやってたことってある?
準備が完全に整ったからってやり始めたこと…ある?
そもそも、条件が満たされてたことの方が少なくない?
…そもそも「条件」がひっくり返るじゃんか。
掃除もしんどいと思ってたけど、条件がひっくり返った先を考えるのも今の頭ではムリだ…。
しかも、こんなタイミングで長年の疑問「無条件の…」ってことが出てくるとも思ってなかったよ…。
ちょっと保留にして別のタイミングでみることにしよう…今は大物すぎる…。
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