天賦の才能があってもシンドイ人生 アマデウスの時代
気になっていた映画「アマデウス」を遂に観ました。この映画はモーツァルトの生涯を同時代の年上でライバルでもあった音楽家サリエリの回想で語られています。
モーツァルトは皆さんもご存知のように天才音楽家ですが、その実力と功績に相応しい安泰な一生を送ったか、と言えばそうではありません。
現在の金銭感覚で年収2千万円程度はあったとも言われていますが、35歳で亡くなる数年前から、金策に喘いでいたと言われています。
金欠になったのは、派手で贅沢な暮らしぶりや賭け事が好きで夫婦ともに浪費が酷かったためとも言われてもいますし、映画でもモーツァルトの享楽的な暮らしぶりが描かれています。
ですが、なぜそんなにも生活に困窮したのか、明確な理由はわかっていないようです。浪費だけではシックリしません。
そこでモーツアルト時代がどんな時代だったのか、気になってグーグってみたら、なかなか面白い側面が見えてきました。
フリーメイソンとモーツァルト
いきなりフリーメイソンとモーツァルトの関係なんて言うと陰謀論的ぽっく聞こえるかもしれませんが、モーツァルトは1784年28歳のときにフリーメイソン(ウィーン・ロッジ)に入会しています。
ハイドンや父親にも入会を勧めたり、会員のための音楽を10曲ほど作曲しています。「フリーメイソンのための葬送音楽」もその一つです。
「人類における兄弟愛、個人の尊厳と自由を尊重すること、家族や社会での責任を信条とする」フリーメイソン、魅力的ですよね。
当時の階級社会で貴族や教会のお抱え音楽家になれば生活は安定しますが、芸術家と言うよりも使用人の扱いになります。モーツアルトが芸術家としてプライドを持ってフリーランスを選び、フリーメイソンに入会したのは不思議ではありません。
啓蒙専制君主ヨーゼフ2世
当時は啓蒙思想(今までの先入観を疑り、合理的に理性で考える思想)がヨーロッパの知識人たちの間に広まった時期で、モーツァルトがいたウィーンのオーストリア皇帝ヨーゼフ2世は代表的な啓蒙専制君主でした。
ヨーゼフ2世にとってさまざまな改革を敢行し、強大な権力を持つカソリック教会体制を弱体化させるためにも啓蒙思想は好都合な思想でした。
「科学や思想の自由な発展を教会が阻んでいる」と考える知識人も啓蒙思想を支持しため、「反カソリック教会体制」気運も強まりました。
こうしてヨーゼフ2世は啓蒙思想を受け入れ、進歩的に言論の自由を認めていましたが、同時に裏では検閲や警察制度で、人々の思想や行動の監視、管理を強めていました。
フリーメイソン勅令
ヨーゼフ2世はそんな中1785年に「フリーメイソン勅令」を発布します。
この勅令によってヨーゼフ2世は国内に広がっていたフリーメイソンを承認、保護の名目で管理下に置こうとします。
フリーメイソンは私的な団体でその活動内容の詳細は会員のみ知るところだったのですが、会員の名簿、集会の内容、日時など事前に政府に届け出が必要などの制約を出し、守らなかった場合の罰則まで課したのです。
この勅令によってメイソン内でも皇帝批判派、肯定派が生まれました。
またフリーメイソンが大衆の話題となるなど、フリーメイソン会員にとって居心地のいい状態ではなくなっていきました。
その結果、ウィーンにおけるフリーメイソンの会員数は「勅令」前の1785年に約950人だったのが、「勅令」後の1786年には約360人に激減し、1794年、ついにオーストリアのフリーメイソン結社は消滅します。
モーツァルトの経済的な困窮
モーツァルトの経済的な困窮が始まるのはこの「フリーメイソン勅令」ぐらいからです。
フリーメイソンの秘密集会が反体制派の温床になると危惧されたこともあり、管理、監視が強まり、「フリーメイソンの勅令に違反した場合はギャンブル同様の罰則があった」というのも気になります。
1784年にフリーメイソン入会したモーツァルトですが、1785年にフリーメイソン勅令が発布され、メイソン内の状況も変わってきます。
フリーメイソンを脱退する人が続出し、フリーメイソンと関わりたくない人と思う人が増えていったことでしょう。
そんなときにオペラ「フィガロの結婚」を1786年にウィーンで上演するんですから、反体制思想があると思われかねない危険な賭けですよね。
フィガロの結婚って確かに愛を描いたコメディですが、貴族の伯爵に一杯食わせるオペラです。これでは「モーツァルトは危険人物」とみなされてもおかしくありません。
モーツァルトが経済的に苦しんだ理由に高収入になるような仕事が来なかった、サリエリ達による演奏会の妨害がしたとも言われていますが、それ以前にモーツァルトに仕事の依頼しにくくないですか?
どんなものを演奏するかわからないし、しかもフリーメイソンだし。
モーツァルトのとばっちりを受けたくないと思えば、触らぬ神に祟りなし、
関わらない、仕事の依頼をしない、になりますよね。
共同墓地に埋められたモーツァルト
さて、このアマデウスの中でも印象的なモーツァルトの埋葬シーン。
なんと使いまわしの質素な棺桶で墓地に運ばれたのち、多数の遺体が重なっている共同墓地の穴に無造作に袋ごと落とされて終わりです。
これもあのヨーゼフ2世の葬儀や埋葬を簡素にする改革によるもので仕方なかったようですが、それによってモーツァルトの遺体が見つかることはありませんでした。
あれだけ天才で偉大な音楽家で努力家で真摯に音楽と向き合った人物でありながら、その後半の生涯は謎が多く、安泰とはいかず、最後もあまりにもあっけない扱いで終わっています。
歴史はミステリーでも音楽は超然と生きている
今回いろいろ書かれているものを参考にまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
あの陰謀論でお馴染みのフリーメイソンがモーツァルトの人生にどこまで関係していたか、真相はわかりません。全くお門違いかもしれません。
でもその時代を知ったり、想像するのは面白いです。
そしてそんな知識以上に本人が語り掛けてくれるのが、やっぱり作品、音楽ですよね。
モーツァルトがどんなにつらい時期を過ごし、惨めな思いだったとしても作品とその作品に対する情熱はずっと愛され、尊敬されています。
彼が望んだように音楽で私たちを幸せな気分にしてくれたり、笑わせてくれたり、元気づけてくれたり、そっと寄り添ってくれます。
彼の挑戦的な姿勢のおかげで、私たちは今も「フィガロの結婚」のオペラを楽しめて、そんな社会だったのか?と驚くのです。
私は高校の時の音楽の歌のテストの曲が好きだったんですが、それが「フィガロの結婚」の中のケルビーノの歌だったと今年知りましたよ。
ありがとう。モーツァルト!
私が去年死んでたら、知らずに死ぬところでした。
歴史に何が本当なのかを見つけることは難しいですが、作品は本物のそのもの。どう解釈するとか、そんな小難しいことは私にはできないので、ただに聴いているだけ。聞き流しているだけですが。
知識もないよりはあった方がいいかもしれませんが、まずは作品に触れてみる、そんな付き合い方が音楽家にとっても望むところで音楽家を感じる一番の方法ですよね。
クラッシックは私にとってもまだまだ未知の世界で敷居が高いですが、少しずつ聴いていきたいと思います。
参考サイト)
ウキペディア(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)
啓蒙専制期パプスブルグ君主国における批判的公共圏の成立
モーツァルト:歌劇「魔笛」
なぜ神は自らの代理人にかくも下劣な若造を選んだのか
世界史の窓「ヨーゼフ2世」
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