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キューバの首都ハバナ日帰り旅行で考える④キューバ旅行

ホテル滞在もだんだん慣れてきたところで、いよいよ首都ハバナの1Day Tripのオプショナルツアーに行ってみました。

ホテルのあるバラデロから首都ハバナまでは車で約2時間30分。
往復で5時間、その間に昼食と夕食もあるので自由時間がありそうでなさそうですね。

海沿いを走りながら目指すはハバナ!

トイレ休憩の売店で買ったパイナップルジュース
 約800円

ヘミングウェイが「老人と海」を書いた家

ハバナの中心に入る前に郊外にあるヘミングウェイが住んでいた家、フィンカ・ビヒア邸(Finca vigia・眺めの良い田舎の意味らしいに立ち寄りました。現在はヘミングウェイ博物館として建物と敷地を公開しています。

小高い山の上にあり、芝生ではなく木が生い茂った確かに田舎の見晴らしの良い家です。遠目に町を見下ろせます。

ヘミングウェイはキューバに来てしばらくは、ハバナのHotel Ambos Mundosを定宿としてました。

ピンクの建物がHotel Ambos Mundos
現在も営業中。ヘミングウェイの部屋を見学できます。

その後、下の画像のフィンカ・ビヒア邸を購入し、3番目の妻と1939 ~1960年の21年間、約人生の1/3をキューバで過ごしています。

中央に玄関があります。

「老人と海」や「誰がために鐘は鳴る」もこの家で書かれています。

このお家、明るく風通しも良く、どの部屋もスッキリと気持ちが良く、シンプルで知的です。丘の上の一軒家で心豊かに落着く家って感じでしょうか。

所有していたボート。結構大きい。

この森の敷地内にはプールやテニスコート、ボート置き場もあります。
近所には釣りができる小さな町も行きつけのバーもあり、地元の人たちと談笑したり、自由気ままな穏やかな日々を送っていたのがうかがえます。

愛犬4匹のお墓を庭に作っています

さて、ヘミングウェイがキューバにいた時期はどんな時代だったのでしょう。ハバナの町の様子と一緒にサクッと時代を遡って見てみます。

ヘミングウェイがいた時代のキューバ

ヘミングウェイは第二次世界大戦前の1938年にキューバにやってきました。

当時のキューバ政府はバチスタ政権。
バチスタは親米政策や富裕層優遇をすすめる一方、国民には国家警察を設置し、言論や行動を監視した独裁政権でした。

米国資本の企業進出、鉄道、ハイウェイ建設が進み、マフィアによるカジノ、ナイトクラブ、リゾート開発と、ハバナは「ラテンのラスベガス」と言われるほどの歓楽街になり、売春、犯罪、薬物が氾濫する町でした。

街並みはスペイン時代の面影の残るヨーロッパ風

アメリカからの経済制裁中の現在は考えられませんが、当時は米国人富裕層が大挙してキューバ―に訪れていたのです。

※私が宿泊したリゾート地ベラデロ(Varadero)には、私は行けませんでしたが、アル・カポネの元別荘があります。(現在はレストラン)

またキューバの主要産業である砂糖のサトウキビ農地の85%が米国企業のものとなり、多くのキューバ農民が米国企業に借金をして奴隷のような低賃金、劣悪な環境で暮らす、一方キューバの富はどんどんアメリカに流れるしくみになっていたのです。

このようにキューバは米国企業や米国マフィアの金の卵で、米国人観光客のパラダイスだった反面、経済的な恩恵を受けないキューバの一般庶民は変わらず貧しかったのです。

ヘミングウェイとカストロ

さてバチスタ時代のキューバにいたヘミングウェイはどんな気持ちで暮らしていたでしょう?

激動の地に自ら飛込むヘミングウェイの性格上、表向きはどうあれ、キューバの腐敗した政治、犯罪の蔓延、国民的貧困のキューバの現状に釣りやお酒を楽しむだけで満足し、無関心でいられたでしょうか?

国際的人気作家ヘミングウェイは権力者バチスタからも何度となく食事の誘いを受けたようですが、断り続けていました。

強力な権力でキューバを腐らせ、国民を苦しめている張本人と美味しく好きなお酒が飲めるはずがないのです。

レストランで昼食中の生演奏

ヘミングウェイが共産主義者やカストロ率いるキューバ革命に関心があったことは確かです。

一方、カストロの方もヘミングウェイを敬愛し、1952年に祖国キューバの田舎町コヒマルを舞台にした「老人と海」を革命活動中に愛読していたと言われます。

キューバの海で老いてもボロボロでも命懸けで最後まで強者クジラに挑んでいくサンティアゴの姿にカストロも鼓舞されたかもしれませんね。

ホセ・マルティ・メモリアル(Memorial José Martí)
国民的英雄のホセ・マルティの記念碑

お互いに関心を持っていたヘミングウェイとカストロですが、2人が対面した記録はキューバ革命が成功した後の1960年の5月15日のヘミングウェイが主催した釣り大会にカストロが参加した時ぐらいしかありません。↓

このように二人はお互いをリスペクトしていたようですが、直接的な関りはほとんど記録にありません。

当時のヘミングウェイの状況も複雑で、彼は1942年から1972年(1961年没)の間、社会主義者との関りを疑われ、FBIの監視対象者でした。死後10年経っても監視対象者って凄いですよね。

1952年に出版された「老人と海」は世界的なベストセラーになり、1953年にはピューリッツァー賞を受賞、1954年にはノーベル文学賞を受賞するぐらいですから、ヘミングウェイの影響力は支配者側には脅威だったのかもしれませんね。

残念ながら、ヘミングウェイはノーベル文学賞を受賞する半年前の同じく1954年に連続した二度の飛行機事故に遭い、深刻な身体的ダメージを受けます。そのためオスロの授賞式に行けなかっただけでなく、その後の創作活動や身体的、精神的苦痛に悩まされることになります。


その頃、カストロはどうだったかと言うと、1953年キューバ革命の始まりと言われるモンカダ兵営襲撃を起こし、失敗し、逮捕されてしまいます。
しかしながら、弁護士であるカストロは自ら弁護人を務め、結果的には1955年に釈放されメキシコに亡命し、革命運動を続けます。

1959年には悲願のカストロのキューバ革命は成功します。

そしてカストロのキューバ革命が達成した翌1960年にヘミングウェイカップ(釣り大会)でのツーショットが実現するのです。

この革命によってアメリカ企業や富裕層が持っていた土地や財産が大規模に国有化され、一部の外国人には退去命令が出されます。
カストロ自身も裕福な農園主の出身でこのときに家族の農地を没収しています。

この時期、ヘミングウェイは深刻な体調の問題や政治的な動向に対する懸念から、1960年、アメリカに帰国します。

そして翌61年にアメリカの自宅で自らの命を絶ち、永遠にキューバに戻ることはありませんでした。

こういう話、キューバに行く前にちゃっと知っておいたら、このヘミングウェイ邸での感動ももっと大きかったのになぁとちょっと残念です。
ですが、ヘミングウェイの小説を読むときの感じ方は随分変わるだろうなぁと思います。

現在のキューバ

現在のキューバが経済的に厳しいことは確かです。

2014年にオバマ大統領によってアメリカとの関係回復、経済制裁が緩和されたと思ってホッとしたところでトランプ大統領に代わり、また経済制裁が強化された上に、コロナで観光産業は2年間で失速。

さらにキューバペソの暴落、ハイパーインフレ、ハリケーン被害と踏んだり蹴ったりです。

大きな支援国だったソ連も崩壊し、苦しんでいたうえにその後を引き継いだロシアもウクライナに侵攻して現在は同じく経済制裁を受けている状況。
目と鼻の先にあるアメリカは相変わらず知らんぷりだし、キューバ政府も大変であることは確かでしょう。

とは言え、もっとどうにかならないのかなぁ、って思っちゃいます。

復旧事業、補修作業、下水、水道、ガス、電気、ゴミ、食料、生活必需用品、医療といった生活の基本部分が一般国民レベルで不十分で、現在のキューバは、国から最低限保障されるべきものが機能していません。以前は大学まで教育費無料、高水準で無料の医療など豊かな面があったのに。

傷みが惜しいお家が多いです
整備されたらこんなにステキ!

ユネスコによって保護された以外の地区は劣化が甚だしいです。
素晴らしい建物や通りなのに色が剥げ、壁は崩れ、時には丸ごと崩壊し、ベランダを伝ってくる得体のしれない液体が軒から流れ落ちてきたり、ゴミの収集がされていないのか、あちこちの通りに生ごみも一緒のゴミの山がそこら中にあります。

オシャレな高層ホテルの屋上で一杯。なかなかいい感じですが、
反対の町側を見るとこんな感じです。↓

なんとかしてー!

これらが補修整備されていたらどれだけ魅力的な町になり、世界中の人がもっと憧れる、来たくなる国になるでしょう。

モロ城要塞

国民のほとんどの公務員が、その給料だけではとても生活できないのが現状です。さすがにキューバ政府も個人事業の認可範囲を広げ、自助努力でなんとかする道を提案してますが、そう簡単ではありません。

個人事業主のバイクタクシー

上手く観光に関わる職種や個人事業が成功した人はは外貨収入が稼げます。
海外に親族がいれば海外送金してもらえます。
でも商才やそれらの当てがない人はどうしたらいいんでしょう?

やっぱり最低限、国が支えるぐらいになってほしいですよね。
そのためにも経済制裁もなんとかならないかな。

それと私達外国人観光客がキューバで使っているドルやユーロはちゃんと国家財政に役に立っているんでしょうか?

誰かのセキュリティーばっちりの豪邸、豪華な食事、高級車に消えてないよね? 


そんなことを思うハバナのOne Day trip でした。

このノルウェーから来た二人と一緒にクラシックカーで街をドライブしました。

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