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奈良和歌山の農村和式民家(5)高級和式民家ココを見よ
▼さきに『奈良和歌山の農村和式民家(1)屋根瓦』では、瓦は実用性よりも装飾としての意味合いが強いといった趣旨のことを申し上げました。
▼しかし、農村和式民家において、装飾は瓦だけではありません。農村和式民家の諸様式には、装飾がふんだんに盛り込まれており、装飾によって社会経済階層の上下が如実に表出されがちです。
▼掟(おきて)や入会(いりあい)権、葬送に代表される村落共同体のシステムは、あたかも「村ぐるみで一蓮托生」というイメージを抱かれがちですが、その中身は実に不平等です。
▼集落住民のうち、特に中・高所得階層は、農村和式民家にさまざまな装飾を施し、それぞれが家格を競い合います(但し、和歌山県北部や奈良県南部のコミュニティにおいて穏便な人生を送りたいならば、お金持ちであっても華美な暮らしぶりは不用意に見せないほうがよいでしょう)。この現象は、都心で高層ビルやタワマンが高さを競い合うのと本質的には同じです。
1.格式性意匠
▼住田らや碓田らは、大阪府南部地域と和歌山県北部地域の住宅を観察し、「格式性意匠」という概念をあらわしています。格式性意匠とは、社会的地位の格付け表示のために用いられる意匠をいいます(住田ら 1991,碓田ら 1998)。格式性意匠が生まれる背景としては、以下の3点があげられます。
●住宅が地域社会内の社会的地位を表現する役割を持っているから
●当主が、前時代に社会的格付けに使われた住宅様式を再現することで、前から身分が高かったと誇示したがるから
●住宅が社会的地位の高低を表すという価値観を住民が共有しているから
▼和歌山県北部の紀ノ川流域に限ってみると、こうした価値観を持っているのは農家と元農家だけです。農家でない人は、そのような価値観を冷笑しつつ、ためらいなくツーバイフォーの住宅を建築します。住田らや碓田らは、大阪府泉南地域や和歌山県紀の川市粉河地区の集落を調査・踏査した結果、以下の傾向があることを指摘しています(住田ら 1991,碓田ら 1998)。
●専業農家は格式性意匠を施しがち
●専業農家の住宅には続き間があるが、LDK・DK型の住宅にはほぼ皆無
●農家はシコロ造(後述)の住宅を新築する傾向が顕著
●収入規模が大きい農家ほど、豪華な「本シコロ」の装飾を施しがち
●分家や非農家の住宅はモルタル木造が多い
▼そもそも、民家にはさまざまな意味で地域性があります。たとえば、東京都心郊外に住む人と大阪都心郊外に住む人を比較すると、住みやすさ、地域への愛着意識、生活意識、社会関係、政治的態度、そして経済格差が異なるわけで、それが民家の建築様式に反映されます。
▼また、江戸時代には一般民衆の移動が制限されていたことから、農村和式民家の形式には地域性がみられます(住田編 1983)。ここであげた「格式性意匠」は、大阪府南部や和歌山県北部にそのような地域性が受け継がれているということです。
2.格式性意匠の内容
▼では、この「格式性意匠」とは、具体的にどのようなものを指すのでしょうか。
(1)続き間
▼続き間とは、上の間(カミノマ)と下の間(シモノマ)という2室続きの座敷のことをいいます。
▼経済力の乏しい世帯の住宅は、1室にとどまります。続き間は、玄関と縁側の豪奢な造りと一体化し、かつ、上の間には書院造が施されています。谷らは、続き間が近世以降長い時間をかけて武士層から上層農家へと波及し、昭和初期頃には書院造を伴う上の間と下の間の続き間が実現し、昭和40年代には続き間の普及が完了するとともに、続き間や書院造は身分制のあった時代の格式性意匠であって現代にそれを造る意味はないのに、現代農村のすみずみにまで普及したと述べています(谷ら 1992)。
▼なお、以前『奈良和歌山の農村和式民家(3)間取り』で申し上げたように、続き間は、もっぱら重要客や寄合のためのもので、そこの住人が使う日常空間ではありません。
(2)シコロ屋根とトモエシコロ屋根
▼まず、シコロ屋根とトモエシコロ屋根の形態は、下図を参照して下さい。
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▼シコロ屋根とトモエシコロ屋根は、大阪府泉州地域や南大阪地域から和歌山県北部の紀ノ川流域に流入したらしく、和歌山県北部地域では農村和式住宅の最高級がシコロ屋根、次に高級なのがトモエシコロ屋根、それに続くのが入母屋と、価値が階層化されているようです。
▼シコロ屋根やトモエシコロ屋根に加えて、各種の高価な装飾を施したものを和歌山県北部及び紀ノ川流域では「本シコロ」といい、至れり尽くせり状態です(下写真群参照)。一方、「本シコロ」とは別に、単なる「シコロ」という格式もあり、これは本シコロを模倣しつつも、付随する装飾がやや簡略化されているものです。そして、入母屋になると格式性意匠はもっと簡略化されます。
(3)張り出し玄関
▼張り出し玄関は、玄関が母屋から張り出した形式をいいます。張り出し玄関には、玄関内を広くする以外の意義はありません。来訪者が多い農村和式住宅では必要かもしれませんが、そんな、四六時中来客があるのは地方政治家ぐらいでしょう。したがって、これも格式を誇示する建築様式といえるでしょう。
(4)床の間(とこのま)廻り
▼床の間廻りについては、格式を誇示する構成要素としては書院造の有無があげられます。
▼書院造は、中世には本当の書斎だったようです。当時書物を読んでいた層はごく限られ、かつ、ほとんどの農民の識字率は極めて低かったことから考えても、高僧や高級役人、高級武士などごく一部が書斎を持っていたと考えられます。
▼こうした書院が、次第に装飾性を帯びるようになり、江戸時代以降には装飾性とともにその家の家柄や格式を表示するものとして、特に家族のプライベート空間たる台所ではなく接客空間、すなわち上の間に造られるようになります。近現代に、機能的な意味をなんら持たない書院をわざわざ接客空間に造ってみせるのは、その家の当主が自らの家ないし家格の優位性を集落の他者に対して誇示するために他なりません。
▼太田は、戦後の炭鉱住宅における生活改善のための対策委員会に参加し、炭鉱労組の意見を聴取したところ、「床の間のある家を」という要求があったことに驚いたというエピソードを残しています。そして、台所や住居の広さといった生活改善ではなく、生活の質的向上とは直接関係のない床の間の要求が出たのは、炭鉱住宅には職員住宅と工員住宅があり、職員住宅には床の間があって工員住宅にはなかったからで、床の間がこれほど格式化しているとは思わなかったと述べています(太田 1978)。
(5)縁側
▼縁側は、上の間と下の間を貫通する広縁(ひろえん)が一般的で、広縁の幅は農家層では4尺(≒120㎝)以上が1/3を占め、離農層や転入層では広縁はほとんどなく3尺幅が中心、転入層にあっては縁側自体がないものが1/3を占めるという結果が報告されています(住田ら 1991)。
▼こうした和歌山県北部=紀ノ川流域の格式性意匠が、具体的に家屋のどのようなところに反映されているのでしょうか・・・ 面白半分に、下写真群にまとめてみました。誠に遺憾ながら、著作権を遵守すべしという基本原則を大いに侵し、ネット上の写真を適当に拾って作成しました。写真の持ち主の方々申し訳ございません・・・
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▼以上、和歌山県北部と奈良県南部=紀ノ川流域の農村和式住宅には階層性があり、それが屋根、玄関、座敷、縁側の装飾に顕著に現れることを、少ない文献を頼りに書いてみました。
▼和歌山県北部や奈良県南部=紀ノ川流域は、伝統的な農村社会の価値観と都市的価値観が混在しており、両者の比率が和歌山県北部や奈良県南部=紀ノ川流域にある各地域を特徴づけているといえます。これは、いずれ「都市的価値観>農村社会の価値観」となるはずです(もうなっているかも)。
▼こうした都市的価値観の流入は、伝統的集落の周縁部から始まるのが普通です。つまり、外部の人間がある集落を見たときに、シコロ屋根のような伝統的な農村和式住宅があるところは集落の中心部です。そして、ツーバイフォーや洋式住宅の多いところが集落の周縁部となります。また、この傾向はその集落における旧集住者と新参者との交流の度合いとも関係していることが指摘されています(鎌田 1988)。
▼1990年代に「格式性意匠」の概念を生み、その研究に没頭した面々は、やっぱり大阪市立大学の研究者でした。この大学が、農村和式民家を現在も追跡しているのかどうかは知りませんが、面白いことをする研究者はどこにでもいるものです。
***(つづく)***
文献
●鎌田元弘(1988)「都市近郊地域における混住化集落の類型化とその特性に関する考察一その2コミュニティ形成の視点からみた新旧住民の混在形式の基礎的検討一」『日本建築学会計画系論文報告集』393、pp61-71.
●太田博太郎(1978)『床の間:日本住宅の象徴(岩波新書)』岩波書店.
●住田昌二編(1983)『現代住宅の地方性』勁草書房.
●住田昌二・松原小夜子・谷直樹(1991)「新築農村住宅にみる格式性意匠の存在形態:農村住宅の格式性意匠に関する研究(その1)」『日本建築学会計画系論文報告集』427、pp97-109.
●谷直樹・住田昌二・松原小夜子(1992)「近代の農村住宅における意匠の継承過程一農村住宅の格式性意匠に関する研究その2」『日本建築学会計画系論文報告集』438、pp59-68.
●碓田智子・住田昌二・谷直樹・千森督子(1998)「大都市近郊農村地域における住宅外観形式の変容に関する研究―大阪泉州地域のシコロ葺きを中心として―」『日本建築学会計画系論文集』512、pp175-182.