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紀伊半島とニホンオオカミ(2)その標本と絶滅をめぐって

▼前回の『紀伊半島とニホンオオカミ(1)』では、「わが国のオオカミ概論」題して、ニホンオオカミのアウトラインとオオカミ研究の方法論に触れました。

▼今回は、目下絶滅したとされているニホンオオカミをめぐる標本と、その分析の歴史を整理してみたいと思います。

1.現存するニホンオオカミの実資料


▼ニホンオオカミの資料は、極めて少ないです。かつては当たり前のように存在したから誰も気に留めず、わざわざ資料として残さなかったという意見もありますし、ニホンオオカミの研究自体が比較的最近になってからであるという意見もあります。
▼ニホンオオカミの資料には、剥製標本骨格標本遺跡から出土した骨片民家に残る呪術的や装飾物としての頭骨があります。

(1)剥製標本
▼まず、エゾオオカミは、剥製にのみ例外的に触れておきます。
▼現存するエゾオオカミの剥製標本は、北海道大学博物館(北方生物圏フィールド科学センター植物園)に2体あるのみです。これらは、明治時代初期に京都の島津剥製所から購入されたもので、立っているのがオス、座っているのがメスです。

(朝日新聞社北海道支社報道部編1961:p31)

▼次に、ニホンオオカミです。
▼現存するニホンオオカミの剥製標本は、世界で5体しかありません(国内4体、海外1体)。なお、国内の4体のうち3体は、一度解体されて作り直されており、原型を忠実に再現したものではないようです。以下、管理人が調べた範囲でプロフィールを整理します。

①東京大学総合研究博物館所蔵(1体):
・1881(明治14)年に岩手県で購入されたもの。
・もともと東京大学農学部が所蔵しており、2014(平成26)年に現博物館に移転された。また、タイリクオオカミ扱いになっていたが、いつの間にかニホンオオカミとして保管されるようになった。
(著作権OKそうな写真はありませんでした…)

②国立科学博物館所蔵(2体):
・1体は、明治時代初期に福島県で捕獲されたオス(下写真)。
・もう1体は、1889(明治22)年よりも前に上野動物園で飼育されていた岩手県産「ヤマイヌ」で、つい最近、小森がニホンオオカミではないかと指摘し、形態学的分析と標本出自の検証などからニホンオオカミのオスと同定された(小森ら2024)。

国立科学博物館の福島県産ニホンオオカミ(高島1951:p45)


③和歌山県立自然博物館所蔵(1体):

・1897(明治30)年頃に、奈良・和歌山県境付近の山地で採集されたとみられるメス(末松1950)。
・もともと和歌山大学教育学部が所蔵していたもので、近年、同博物館に保管委託された。

和歌山大学教育学部のニホンオオカミ(末松1950:p88)
頭部のアップ。但し、解体され再構築されたもので原型とは異なる(末松1950:p88)


④オランダ国立生物多様性センターナチュラリス所蔵(1体):
・1826(文政9)年に、蘭医シーボルトが大阪天王寺で購入したもの。「ヤマイヌ」として旧ライデン博物館(現ナチュラリス)に寄贈された。
(著作権OKそうな写真はありませんでした…)

(2)骨格標本
▼ニホンオオカミの骨格標本の大半は海外にあり、江戸時代中後期に採集されたものです。また、国立科学博物館には「ヤマイヌ」の骨格標本がありますが、それがニホンオオカミであるかどうかの同定はされていません(斎藤1938)。以下、プロフィールを整理します。

①大英博物館(自然史博物館)所蔵(2体分):
・1体は、1886(明治19)年に秩父で採集されたもの(頭骨のみ)、もう1体は1905(明治38)年1月23日に現奈良県吉野郡東吉野村小川(旧鷲家口(わしかぐち))で、アメリカの鳥獣標本採集家アンダーソンが地元猟師から若いオスの毛皮と頭骨を購入してイギリスに送ったもの。
・アンダーソン購入分は「最後のニホンオオカミ」と呼ばれている(石黒ら2021,大竹2018,斎藤1964,鈴木・佐々木2023)。
・鷲家口の個体は、遺伝子解析によってニホンオオカミと確認済み。

②ベルリン大学博物館所蔵(2体分):
・1体は、1886(明治9)年に南日本で採集されたもの、もう1体は1877(明治10)年にデニッツが本州で採集したもの。

③オランダ国立生物多様性センターナチュラリス旧ライデン・オランダ国立自然史博物館)所蔵(2体分):
・1826(文政9)年に、蘭医シーボルトが江戸帰りに大阪天王寺で動物商から「オオカミ」と「ヤマイヌ」を購入して出島で飼った後、助手のビュルガーとともに持ち帰り、ライデン博物館初代館長のテミンクに送った頭骨標本(石黒2012,石黒ら2021,斎藤1938)。
・シーボルトの標本は3体(うち1体は剥製)で、それぞれ「イヌ」「ヤマイヌ」「オオカミ」と名づけられており、これを受け取ったテミンクがのちに『日本動物誌』の中で、3体を合わせて適当に「Canis hodophilaxという新種として発表してしまったことが、のちの日本国内の混乱につながった(石黒ら2021,寺井2023)。
・これらの標本3個体は、ジェンティンクという研究者が「Jentink-a」「Jentink-b」「Jentink-c」とナンバリングし、石黒らが遺伝子解析を行った。その結果は以下の通り(石黒ら2021;寺井2023)。

Jentink-a(標本名は「イヌ」):実際もイヌ
Jentink-b(標本名は「オオカミ」):実際もニホンオオカミ
Jentink-c(標本名は「ヤマイヌ」):実際はニホンオオカミでイヌと交雑した可能性が高い

(3)骨片など
▼遺伝子解析の手法が採用されるずっと以前の、形態学的な方法論のみを採用していた時代には、呪術的な理由から、ニホンオオカミの頭骨が日本各地の民家の屋根裏に納められたり、軒下に吊り下げられたりしていたようです。
▼斎藤は、戦前に青森県弘前市の民家を訪ねて頭骨を分析した結果、それがニホンオオカミであることが分かり、そのことが新聞報道されて以降、全国から「わしの家にもある」という分析依頼が殺到したと述べています(斎藤1964)。
▼一方、石器時代やそれよりも以前の遺跡の発掘によって、人の集住を示す遺跡からシカ、イノシシ、飼育犬などの骨に混じってオオカミの骨がわずかに出土しています。たとえば、青森県下北郡尻屋崎の石灰洞からは洪積世のオオカミの歯の化石が、栃木県安蘇郡葛生町の石灰洞からは洪積世のオオカミの下顎の化石が、そして高知県高岡郡佐川町からは縄文早期のオオカミ(ニホンオオカミと思われる)の下顎の化石がそれぞれ出土しています(石黒2012,斎藤1964)。
▼したがって、私たちは、全国ニュースなどで「どこそこの古代遺跡から、なんやらが出土した」などという情報を得たならば、石器や土器ではなくオオカミの骨片が出土していないかどうかを断固確認しましょう

2.わが国のオオカミの絶滅


▼わが国のエゾオオカミとニホンオオカミは、学術上は絶滅したことになっています。
▼わが国よりも前に、ヨーロッパや北米では、産業革命と連動するようにオオカミが絶滅しています。イギリスでは18世紀には確実に絶滅し、カナダやアメリカでも1910~20年代に絶滅したといわれています。
▼ただし、人間生活の近代化によってオオカミが絶滅したという言説はあまりにも短絡的で、じっさいはもっと複雑な事情が関係しているようです。たとえば、小原は、フランスでは1910年代にいったん絶滅したといわれていたものが1950年代に現れていると指摘しています(小原1972)。
▼ここでは、エゾオオカミとニホンオオカミの絶滅に関する事情を整理してみます。

(1)エゾオオカミの場合
▼北海道全域でみられたエゾオオカミの場合、最後に確認された時期は論文によって若干の差があり、高島は明治20~30年の間(高島1953)、小原は1889(明治22)年からほとんど見られなくなり1896(明治29)年に函館の毛皮商が毛皮数枚を扱ったのが最後の記録(小原1972)、石黒らも1889(明治22)頃(石黒ら2021)としていますが、おおよそ明治30年代には完全に姿を消したようです。
▼絶滅の要因は、単一ではなさそうです。まず第一に、北海道開拓という人間の進出によって野生動物を追い詰めたという理由があげられます。もっと具体的には、エゾオオカミの主食であるエゾシカが、人間による狩猟と数度の大雪によって激減したことがスタートです(石黒2012,小原1972)。その結果、エゾオオカミが家畜を襲うようになり、その対抗策として、猟師に1頭あたり高額な報奨金を支給して狩猟をさせ、また硝酸ストリキニーネという殺鼠剤のような薬剤を大量に使ったことが知られています(石黒2012,高島1953)。狩猟にせよ毒薬にせよ、オオカミは一般に群居することから、一挙に多数頭を仕留めることができ、急速に頭数を減らしたとみられています。
▼ただ、千島列島にもエゾオオカミはおり、こちらは狩猟や毒殺をなされていないにもかかわらず自然に絶滅しています。この要因は不明です。

(2)ニホンオオカミの場合
▼ニホンオオカミは、日本最古の動物園である上野動物園で1892(明治25)年まで飼育されていたことが分かっています(大竹2018)。そして、さきにあげたように、「最後のニホンオオカミ」は1905(明治38)年1月23日に奈良県吉野郡東吉野村鷲家口でアメリカ人が地元猟師から死体を買って以降、ニホンオオカミの「生モノ」は現れていません。
▼なお、1907(明治40)年末から1908(明治41)年正月に、大台ヶ原の大杉谷で捕獲され、本所東両国の獣肉店に送られたという例があるものの、その写真が「ロシア産オオカミである」と否定され、真実がうやむやになったという例があります(小原1972)。

このときの写真。直良は、ニホンオオカミかどうかの言及を避けている(直良1965:p248)

▼ニホンオオカミの絶滅の理由は、エゾオオカミとは異なります。というか、よく分かっていません
▼一般的には、食物連鎖の最上級にあったニホンオオカミの食餌となる獣が減り、それに伴って家畜を荒らすようになって駆除されたという、エゾオオカミと同じようなストーリーが描かれがちですが、まず当局による計画的で大規模な駆除が行われておらず、たしかに、餌となる野生の獣は明らかに減っているとはいえ、それだけで絶滅したとは考えにくいです。
▼複数の学者が指摘しているのが、狂犬病ジステンパーという感染症です。狂犬病は、じっさいにほかの野生獣を絶滅させた事例があります。ジステンパーとは、イヌが感染・媒介するウイルス性の感染症で、愛玩動物としてのイヌやネコの輸入によって日本に持ち込まれたことから、時期的には一致します。
▼このうち、狂犬病は、それが山々で蔓延したとすると、ほかの野生獣もみな絶滅しているはずで、ニホンオオカミだけが絶滅した理由にはなりません(直良1965)。
▼したがって、ジステンパーなどの感染症+餌となるシカの激減+人間による開拓や開発+家畜を荒らすことに伴う人為的な駆除といった複合要因が同時作用したという考え方が支配的です。
▼一方、世界のオオカミの中で、島嶼のオオカミは絶滅しやすいという傾向があるようです。特に、人為的に追い込まれると、逃げ場がなく全滅しやすいことや、コヨーテやジャッカルのように、その気になれば昆虫も食べるような雑食性の獣が適応性に優れているのに比べて、もっぱら肉食獣であるニホンオオカミは適応性に乏しく、草食獣の減少が響くのではないかという見解もあります(小原1972)。
▼また、寺井は、島嶼部に隔絶されたハイイロオオカミの単なる一系統が100年前まで存続していたこと自体が異例だと述べていますし(寺井2023)、直良はニホンオオカミの頭数自体がそもそも少数だったのではないかと述べています。直良は、江戸時代から明治時代に作られた呪術用のオオカミの石像は、実際にそれを見たことのない人が作ったものが目立つと述べています。つまり、直良は、私たちは「かつてオオカミはたくさんいた」と言うけれど、実際はそうではなく、江戸時代や明治時代には、オオカミは既に稀にしか見ることができない珍獣として伝説と化していた可能性があると指摘しているのです(直良1965)。
▼さらに、小原は、ニホンオオカミが存続するためには、個体に寿命(約16年)がある以上、1頭だけでは到底無理で、1905年からかなりの年月が経過した今、仮に種が存続しているとすれば多数匹がいなければならないことになると述べています。オオカミは、1年1回受胎して、一度に平均4~6子産むそうです。ということは、本来はもっといなければならないはずで、だとすれば、それを抑制する何かがあるはずだというのです(小原1972)。
▼その決定打となる要因が、よく分かっていません。絶滅の要因は、おそらく今後も想像止まりで、ミステリーのまま残ると考えられます。

***(つづく)***


文献

●朝日新聞社北海道支社報道部編(1961)『きたぐにの動物たち(角川新書)』角川書店(引用p31).
●石黒直隆(2012)「絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統」『日本獣医師会雑誌』65(3)、pp225-231.
●石黒直隆・松村秀一・寺井洋平・本郷一美(2021)「オオカミやヤマイヌと呼ばれたシーボルトが残したニホンオオカミ標本の謎」『日本獣医師会雑誌』74(6)、pp389-395.
●小原秀雄(1972)『日本野生動物記:オオカミ,カモシカ,カワウソ,イタチとテン,ウサギ,ヤマネコ(自然選書)』中央公論社.
●小森日菜子・小林さやか・川田伸一郎(2024)「国立科学博物館所蔵ヤマイヌ剥製標本はニホンオオカミCanis lupus hodophilaxか?」『国立科学博物館研究報告A類(動物学)』50(1)、pp33-48.
●直良信夫(1965)『日本産狼の研究』校倉書房(引用p248).
●大竹修(2018)「日本の近代獣医学史―イリオモテヤマネコ・ニホンオオカミ研究の第一人者 今泉吉典―」『動物臨床医学』27(2)、pp77-82.
●斎藤弘(1938)「東京科學博物館倉庫内に発見せられたるヤマイヌの全身骨格並に其他の同資料に就いて」『博物館研究』11(4)、pp27-32.
●斎藤弘吉(1964)『日本の犬と狼』雪華社.
●末松四郎(1950)「新『やまいぬ』標本」『和歌山大学学芸学部学芸研究』1(自然科学)、pp85-88(引用p88).
●鈴木千尋・佐々木基樹(2023)「ニホンオオカミの形態学~その研究史と今後の発展~」『哺乳類科学』63(1)、pp15-27.
●高島春雄(1951)『動物園や博物館での研究(少年の観察と実験文庫23)』岩崎書店(引用p45).
●高島春雄(1953)「日本に於ける動物の變遷(其の一)」『山階鳥類研究所研究報告』1(3)、pp87-97.
●寺井洋平(2023)「全ゲノム情報から知るニホンオオカミ」『哺乳類科学』63(1)、pp5-13.

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