「彼女たち」
初めて顔を合わせたその6人は本名を名乗り、一夜を共にした。
匿名のアカウントで呟かれる「彼女たち」の混沌とした日常。「彼女たち」は、食べることに困難さを抱えている。その病を摂食障害という。
私は5年前に実名で摂食障害を公言した。摂食障害を症状としての身体ではなく、言語で表現していく。言語は他人に拓けることができ、手を繋ぐことができる。共に闘うことができるのだ。
食べられなくなる人もいれば、自分で止められない食欲に襲われる人もいる。食べるとは生きることであり、生きるとは食べることである。「彼女たち」は常に命を懸けて闘い、そしてその姿は密室の中にある。
「彼女たち」は隠れたくて匿名にしているのではない。表にできないその姿で、それでも独りでないことを確認したくて、スマホを握る。私の投稿に対するいいねは、「彼女たち」からの言語に代わる存在証明のようだった。
「京都で集まりませんか」
私は「彼女たち」を呼んだ。画面の中だけに映されるその密室の声から、誰かの温度を感じられる機会を作りたい。手を繋ぎたい。今日より明日を、少しでも生きてみたいと思える日にするのだ。
安心できる旅には安心できるごはんが必要だ。料理は野菜中心のメニューに変えてもらい、お米を100gに減らしてもらった。ホテルの社長さんは「安心して過ごしていただけると嬉しいです」と言ってくれた。
ロビーで待ち合わせをする。手続きを済ませて向かうと、それらしき女性がすでに5名集まっていた。密室から、画面から、出てきてくれた「彼女たち」が、一人の人として本当に存在していたのだ。
本名を言う、出身を言う、年齢を言う。どんどんと輪郭がはっきりとする彼女たちが、言葉と言葉で繋がっていく過程が、繊細にそこに映し出された。多くが「誰にも病気のことは話してない」と話す中で、その日、密室が解き放たれたのだった。
摂食障害のことを多く語るわけではない。ただ、自分は独りではないという手触りがそこにはあった。カードゲームをして、「コンビニで一番すきな食べもの」という大喜利で「なんだろね」「食べれない時期と食べ過ぎる時期で全然変わるよね」「わかる」と言って笑った。そう、わかるのだ。
明日にはまた日常に帰るけど、今日が明日に繋がってると思って生きていこう。そう話して、次の日それぞれの帰路に立った。生きて、いつかまた会おうね。
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