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49 キャパオーバー

叔母は叔父が数年前に他界してから話し相手が欲しいのであろう。
片付けを名目に私に色々吐き出したことがあったのだろうが、今の私にはそんな精神的な余裕はなかった。
私は心身ともにぎりぎりのところにいた。
確かに入居までに叔母にはさんざん助けてもらったのだが。
夕飯を食べにおいでとも言われたが、これも億劫で断った。

完璧な主婦を長くやっている叔母はとても料理上手だったが、魚の煮つけ、みそ汁、野菜の煮物など地元の味付けなのかすべてがとても甘かった。
両親が入居前叔母は週に1回程度、様子見がてらおかずを差し入れてくれていた。
ところがせっかくの差し入れがあることを両親は忘れ、塩辛や海苔佃煮でご飯を食べていたようだ。
私は帰省するたびにいつの物かわからないおかずが冷蔵庫に入っていた。
手間暇かけて作ったものを食べてもらえないという事は、作り手に取って非常に辛い事である。
認知症という病気は身内にとってとても残酷である。
私は酒飲みというのもあり若いころから甘いものがあまり得意ではなく、むしろ周りが引くくらい何にでも香辛料を多用する人生を送ってきた。

何十年ものブランクがあると親戚とはいえお互いの事を良く知らない。
私の家の場合、両親でさえそうなのだから無理もない。



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