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春子、セクハラ顧問にぶちキレる

なんとなくソフトボール部に入部する

中学生になると部活は強制だった。
柔道部に入るつもりでいたが、廃部が決まっていたので私の代では新入部員を募集していなかった。

柔道部を選んだ理由は至極単純で父が柔道をしていたからだった。
会社の広報の冊子に表紙に父の技が決まった瞬間の写真が使われていたのを目にして、その頃もやっぱりおてんば娘だった私は「カッコいい」と、また不謹慎に思われるかもしれないが、密かに公式に人を投げ飛ばせるのも気持ち良さそうだと思っていた。

おまけに父に受け身の練習をさせられていたとき、組み手を取って遊んでいたら「お前、柔道やるならいいとこ行くかもしれないぞ。センスがいい」と持ち上げられていたことも手伝った。

だが父からは教われなかった。
その頃は海外勤務で単身赴任していたので家に居なかったし、畳部屋も一般的な間取りの部屋しかない。
かといって道場に通うほど熱意もなかった。

昔から猪突猛進だった私は部活は柔道部一択しか考えていなかったので完全に宛が外れてしまった。しかし、部活は強制なのでどこかに所属せねばならない。

なので、体験入部を繰り返した結果なにがしたいのかさっぱりわからなくなり、選ぶのが面倒くさくなって結局は小学生から続けていたソフトボール部になんとなく所属することとなった。

違和感

それはゴールデンウィークから始まった。
顧問の石村は中年で年齢は50前後のタコみたいな顔の醜男だった。
結婚はしていないらしかった。

しかし、最初の印象など全く覚えていない。
小学生からさして先生に「お世話になった」という感覚がなかったので指導者というイメージが育っていない。
つまり、先生だからという理由で敬うような娘ではなかった。

石村は練習には必ず参加した。
特にバッティングの練習の時には抱きつくような姿勢で指導した。
これが、最初の違和感だった。
いままで数年とソフトボールをやってきて、こんなバッティングフォームの指導は初めてだった。
そして、その後ろから抱きつかれるような姿勢のまま太ももを触られ脚の位地を直された。
いやもう、後ろから抱き締められていたような格好だ。
バットを持つ両手をその格好のまま石村の両手で覆われていた。

タバコを吸うようで吐く息の臭気までかかる近さだった。
最初は「指導」という名目の元だったので、こいつの指導はこうなんだろと、何の反応もしなかったが、心の中では可視化できないこんな指導の仕方では自分のフォームがどう悪くて、どう直すのか手本が見えず自分から何も修正できないし何か目的が違う気がして、どこか納得できなかった。
なんか「変」。
これが始まり。

ターゲット

私の容姿については、小学5年生のときに引っ越してきた夏子に、教室に入って最初に目を惹いたのが私だったようで「色が白くて目がクリクリしててクラスであんたが一番可愛かった」と評されている。

かくいう私は自分が可愛いとかなんとか全くわからない猿だったし、今でもたまに言われるんだが正直その価値がよくわからないまま全く活かすことなく今も生きていきている。
一番びっくりしたのは、神社に参拝に行ったら宮司さんに「おきれいな方ですね」と声をかけられたのだが「キレイ」ということにどれほどの価値があるのかがわからない。
だとして何だというのか。
生きる力のなんの足しになるのか。
でも、これ程口にするのはなぜか?
ということを多分キレイなお姉さんが絶対に選ばないであろう、今調度着ているサメがプリントがされているお気に入りの白いTシャツを眺めて、芸人面だったら私のキャラとマッチしたんだろうな。と、ふと思ったりする。

つまり、一見すると大人しそう(反抗しなさそう)に見えるということは事実のようだ。

私はまだ自分の本性は表していなかった。
中学生になり私なりに背伸びしていた。
だから、実際に大人しそうなだけでなく大人しくしていたので狙われたのかもしれない。
それと、ヤンキー校だったので先輩方に目をつけられたら面倒だと思ったいたのも一つだ。

次第に練習に行くのが気が重くなる。
触られるのが嫌で嫌で嫌でしょうがなかった。
他の子は明らかに私ほど濃密な指導は受けてなかった。

夏が近づいてくると半袖になる。
すると、私だけが呼ばれて無駄な恫喝(きっと触る建前なんだろ)と共にバッティングフォームを無駄に直される。

石村ががなるたびに臭い息が髪を抜けて、直に石村の腕が私の腕に触れる。
絶望する瞬間だった。
鳥肌が立つほど嫌悪感が全身に広がるのに、誰にもこれが「セクハラ」だと教えてもらえなかった。
なんだこれ?なんの我慢大会なんだ。
私はソフトボールをしにきたのであって、こいつに触られる覚えなんてないはずだ。
「これはなんなの?」「本当になんなの?」「私は何されてるの?」と心の中で1万回は繰り返した。
当時の私はまだ恋愛も性にも他の女子生徒より情報に疎く自分が何をされているのか行為の名前がわからないでいた。
その時代にセクハラなんて概念自体無かった。
だから、すでにハゲそうなくらい嫌だったが説明ができなかった。

他の大人に「指導」とあしらわれたら、私の心の何かは確実に壊れるとわかっていて、だから慎重になった。

遂に宣戦布告

そう思っているうちに決定的な出来事がおきた。
石村は1年の書道担当でもあった。
その時でさえ、私の席の後ろに立って後ろから抱き締るような姿勢で筆の持ち方を直した。
そして、姿勢が悪いと難癖をつけどさくさに紛れて私の尻をまさぐった。
後ろを振り向くと、椅子に立て膝をついて書道をする自由すぎる夏子の姿が映ったが、石村の注意はそこへは一つもくれてなかった。
夏子がいつものおどけた顔で「どーしたの?」と言ったが聞こえるか聞こえないかのタイミングでついに私の堪忍袋の尾が切れた。
きちんと椅子に腰かけていた私の姿勢をわざわざ直す必要なんてやはり一ミリもない。

「先生、なんで書道の授業で尻触る必要あるんですか?納得いかないんで説明してくださいよ」と皆の前で堂々と聞いてやった。

教室が一瞬静まりかえって、好奇の目にさらされたがそんなことはどうでもよかった。
心の中で「さあどう答えるんだ」と「さっさと答えてみろよ」と喧嘩を売った。
皆にこいつが女生徒の尻を触るしょうもない教師であることを知らしめてやらないと気が収まらなかった。

「触ってない!!」と石村は言った。
しかし、顔に動揺が現れていたから絶対にわざと触ったのだとわかったので私も勢いづく。
「いやいや、触ったどころか揉みました。嫌なんで勝手に触らないでもらっていいですか」
「お前なんか触ったって嬉しくねーよ」 
こういう奴に限って自分の立場がわかっていない頓珍漢な発言をする。嫌われてることに気づかないし悪いことをしている感覚もないので謝ることもできない。
そもそも、自分が教師であることを忘れたようで、触るとか触らないとかの会話になっていること自体が異常な立場だと忘れているようだ。
「じゃあ話が早いな、今後一切絶対触んなよ」
この日は一旦これで終止符を打った。

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