恋愛アレルギーの布石

私の恋愛は始まる前には終わっていた。


初潮

自分の初潮が何歳だったかうろ覚えだ。
確か小学4年生頃だったか。
母がお赤飯を炊いて祝ってくれたことが温かい思い出として残されている。
その日、私は生殖としての性が決定づけられた。
それを後に呪うようになるとは思いもよらず、それは赤飯食べられるような特別なことなんだとふんわり思いながら頬張っていた。
それまでは自分をいわゆる「女」として意識したことがなかった。

おてんば娘

近所には男子しかおらず、幼い頃から遊ぶのも同じくその男子達だったので女の子のする遊びを知らずにすくすく育った。

ザリガニ釣りが得意で男子にレクチャーしていたり掘ったミミズを素手でつかんで投げつけて遊んで、基地作りにはまっては火遊びして近所のおばちゃんに怒られている野生児だった。
探検気分でよく脱走して親をハラハラさせるような落ち着きの無いさで「おてんば」とひねりの無いあだ名で呼ばれていた。

小学生中学年から母がパートに出るようになったから、鍵を持たされたいたが、その鍵を忘れては家に入れず、しょっちゅう2階までよじ登って自宅に侵入するスパイダーマンみたいなことをやってのける健康優良児だった。
友人もその猿っぷりが今も目に焼き付いているようで笑い話の定番ネタだ。

一つ上の兄がいたが、喧嘩は私の方が強かった。(今ならわかるが手加減してくれたのでしょう)
因みに口喧嘩などまどろっとこしいことはしない。喧嘩はだいたい殴り合いだった。
そして、母の話しは二人とも聞かないのであとで、父からお灸を据えられるお決まりのパターンだった。
遊びに夢中で度々門限を破っては玄関で正座させられていたが、それで遊びをやめるようなたまでもなかった。
おてんばの将来を案じた父がバトンクラブやエレクトーンやら習い事をさせようと画策するが唯一楽しんで参加していたのはスポーツ少年団のソフトボールだけだった。

幼稚園のときから怖いもの知らずのアホだった。お泊まり保育のお化け屋敷のイベントにも怖がりの男子を引っ張っていき、恐怖で私にしがみついてる姿をよそに満面の笑みをたたえている写真が残っている。
小学生のときも男子達の前で仁王立ちで立っている写真が残っている。

その環境の中で「男」と「女」の違いなど意識しようがない。一緒にごちゃ混ぜに遊んでいたのだから。
これが私のベースだ。

ませていく他の女の子達

高学年に上がるほどませていく女子には、まったくついて行ってなかったが、まるでマイペースな性格なので気にしたことはなかった。
クラスで大半の女子が「◯◯君のこと好きなの。協力してー」というのが普通で、もれなく「春子ちゃんは誰か好きな人いないの?」と、女子特有の共有の秘密をもつことで関係性の親密さを測るという一種の暗黙の強要があるので適当な男子を見繕って「んー私◯◯君が好きかな」とか実際恋愛感情もわかっちゃないなかったが、はみ出したくないだけで何も考えずミッションをクリアする感覚で名前をあげた頃だった。

男を巡る争奪戦

思えば、恋愛への嫌悪感の布石は小学生からばらまかれていた。

恋に狂った女の狡猾さに利用されるはめになったからだ。
簡単にはめられる私が馬鹿なのだろうが、当時は本当に複雑な関係性は理解できない馬鹿だったのだからしょうがない。

モテる男子の取り合いという骨肉の争いの間にぼやっとしてたら放り込まれていた。
もちろん私は無関係。
A子がモテ男と仲睦まじく校庭を歩いているところ、同じくモテ男のことを好きなクラスでも中心人物のB子が見つけて、嫉妬のあまり逆上したけど自分の手を汚したらモテ男君に嫌われちゃうので、たまたまそこにいて適当なカモとなった私に「A子が春子ちゃんのこと悪口言いふらしてるんだよ」とか嘘っぱちをさも本当かのように吹聴し私に二人の邪魔をさせようと仕向けた。
思慮が浅かった私はあっさりと騙されて、空気も読めなかったので校庭にモテ男と二人でいるA子のところに行って「どういうことだよ」「私なんかした?」と怒りをぶちまけた。
正直、A子ともB子ともそれほど仲が良いわけではなかったので、余計にB子が嘘をつく理由がまるで思いつかなかった。
という、何の信憑性もない適当な勘を理由にA子に濡れ衣を着せることになる。

因みに、A子は美人だ。B子は頭も良くピアノもうまいし運動もできる典型的ないい子だが、A子ほどではない。おまけに性根がねじ曲がっていた。

後にそれはB子の嫉妬で私は単に校庭デートを邪魔させるための捨て手駒に過ぎなかったことが発覚する。
今考えてもこんなこと小学生でも出来ちゃうんだから末恐ろしい。

根も葉もないことでA子に怒りをぶちまけていたと知り、A子の家に自分の馬鹿さ加減を謝りに行くはめになった。
最初、隣にいた夏子に「A子許してやることないよ」と言われたが、A子は「謝ってきたんだからいいよ」と許してくれた。
なぜかA子ではなく、この夏子こそ私の青春の友となる。
今では30歳超えて一度会ったくらいで疎遠になってしまったが。

これが起きたのが卒業間近で、B子の嘘が発覚したのがちょうど卒業式だったので、私はB子に「私あんたに関わりたくない」と宣言した。
本当に率直というか正直というか馬鹿というか、真っ直ぐしか歩けない子だったんですね。
言い方ってものがあるでしょうと今なら思います。

同じ小学校からほぼ全員同じ中学に通うので、この問題は自分なりに片付けて起きたかったのだと思います。

この体験から恋愛に狂うと人間関係に亀裂が走ることを学ぶ。
嫌悪感が敷かれたが私はとばっちりを初めて受けただけだったのでこの時点でのダメージは、さほどなかったと思われる。

嫉妬からいじめへ

その代わり、これをきっかけにA子とも仲良くなった。
好きな男と付き合えなかった嫉妬からB子はA子のことをB子の取り巻きたちと一緒に集団でいじめた。
ここまで来ると狡猾で頭が良かったはずのB子も頭が悪く思えてならなかった。
取り巻きたちはもっと頭が悪いと思っていた。
A子に一体何をされたというのか。
A子がB子の所業をモテ男に言わないはずはなく、やればやるほどモテ男に嫌われるに違いないような嫌がらせをしているのに恋の盲目に駆られ目も耳も機能していないようだった。
A子に対する態度をみて回りの生徒もB子を嫌煙し始めたからだ。

持ち前のKYを活かして、取り巻きたちに「ねね、A子に何かされたの?」と聞いてみたけどまともな回答なんて期待通り帰って来なかった。
「あいつ、B子の好きな人取ったんだよ」だ。
そこにどんな理屈があるのだ。
まず、B子とモテ男は一度も付き合ったことが無いから取ったという理屈も成立しないことにまず気付いてもらわないといけない。

おまけに、取り巻き全員外野で自分が無関係者という認識も持ってもらいたい。
そして、個人的に危害も受けてない相手に一方的に「腹が立ったから」という理由で嫌がらせをしていて、それで評判を落としていることにも気付いていないようだった。

恋は迷惑な盲目

小学生の頃のようにB子の天下時代は終わりを迎えていた。他の小学校からの多様な文化が混入して価値観が多様化したからだ。
というか、正常な判断をする生徒が増えたというか。

それでもその恋の主人公は自分なんですよね。
事実は全く違っても。

しかし、小学生で昼ドラ顔負けの恋愛の泥沼劇を見させられたらしばらく恋愛なんてドロドロしたものは喉を通らないのです。

実際、勉強は学年5番内をキープしている秀才のB子ですら我を忘れるのが恋愛なのだと端から眺めていました。

中学に上がるともう正直に「春子ちゃん好きな人いないの?」の質問には「あー私あんまり興味無いんだよね」と言えるくらいの思考力は育っていた。

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