サクラサク。ep9
吾輩は猫である。名前は朔(さく)、のはずだった。ご主人様がくれたと思っていた名前も、呼んでくれる者がいなければ、何の価値もない。
この家は本当にご主人様と吾輩の家だったのだろうか。
もうあきらめよう。
いくら待っても、ご主人様とは会えないのだ。
ご主人様に捨てられたなんて認めない。
ご主人様と吾輩は、この家に見捨てられたのだ。そして、知らないオジサンの家になった。
だから、ご主人様はこの家に戻って来れないだけなのだ。
吾輩は、一匹で生きてゆくことにした。
もうここに居たって、意味がないからだ。
吾輩は、トボトボとした足どりで、当てもなく彷徨い歩いた。
そのはずだったのだが。
「クロ…?」
なぜ。なぜ今になって彼女に出会うんだ。
「本当にクロ?」
小川でしか会えなかったはずなのに、そこにはサクラが立っていた。
「どうして、ここにいるの?」
その質問、吾輩も問いたい。
どうしてサクラがここにいる。
「私、もう病院へ行くのを辞めたから、クロにはもう二度と会えないと思っていたのに」
サクラは吾輩を見ようとしなかった。
「どうして…。こんなところで会っちゃったら、また毎日会いたくなっちゃうじゃん…!」
こちらも問いたい。
サクラ、どうしてお前の方が泣きそうなんだ。
苦労したのはこっちのはずなのに。
どれくらい、そうしていただろう。
会えなかったときと同じくらい、時間がとても長く感じた。
サクラが、吾輩の前にそっとしゃがみ込む。
「ねぇ、本当に私の家の子になる…?」
どうして。さっき一匹で生きてゆくと決めたばかりなのに。
“サク……”
置いてゆこうと思っていた吾輩の本当の名前が、遠くから聴こえた気がした。
もう二度と、ニンゲンに読んでもらえないと思っていた名前だった。
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