見出し画像

サクラサク。ep1

吾輩は猫である。名前は朔(さく)。漆黒の艶やかな毛並みが、月の出ない夜を思わせると、ご主人様に名付けてもらった。
しかし吾輩、ご主人様の家への帰り道を忘れてしまった。質の良いネコジャラシを探すのに夢中だったのだ。かれこれ一ヶ月になる。

何とか記憶を辿って帰ろうとは試みるも、頭上からヒラヒラと桃色の雪みたいな何かが降ってくる。吾輩、すぐに我を忘れて、追いかけたくなる衝動に駆られる。追いかけても、追いかけても、また新しい雪が舞う。

気づけば、知らない小川にたどり着いた。
水が桃色に染まってサラサラと流れる。
木の良い香りがするベンチを見つけた。これはもう寝るしかない。

うとうとしていると、桃色の雪と同じ色が視界に入ってきた。前のご主人様とは違う、長い毛並みだ。あと、花みたいな良い香りがする。
手がそっと伸びてきて、吾輩の額を撫でた。心地良い。

「どこから来たの?」

問われたところで答えようがない。
吾輩は賢いので、ニンゲンの言葉が少しだけ分かるが、ご主人様の時と同様、ニンゲンとネコは声の使い方が違うのだから。
あとその質問、吾輩も答えを知りたい。

「綺麗だね」
おや、それは吾輩のことか?

「雪みたい」
どうやら褒めていたのは桃色の雪のことだった。まぎらわしい。
「桜が咲くと、春って感じだね」

サクラ?サク?
サクとは吾輩の名前だ。吾輩、実は春なのか?

「ほら、桜だよ」
そう言って、いつの間にか吾輩の背中に乗っていた桃色の雪を見せてくれる。
ほう。この雪はサクラというのか。

なら、同じ色をするこのニンゲンもサクラと言うのか?

「私、もう行くね。またね」

そして、吾輩の毛並みを存分に満喫したサクラは、また明日も会うみたいに手を振った。
それが彼女と初めて出会ったときのことだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?