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「ごとばんさん」と和歌を詠む ~海士町ゆかりのワークショップ参加レポ~

昔むかし、令和の東京都に、「和歌に人生懸けてる頭おかしい人」と(愛を込めて)いじられている歌人がおりました。

この梶間和歌という人は近現代短歌の姿勢にも作品にもまったく共感せず、
では和歌を、といっても世間一般に馴染みのある『万葉集』にも『古今集』にも「あれを読んで和歌を知った気になるとは……」と言い放って憚らない。
(リスペクトはあるので、最低限のお勉強はしているよ)

初学のころは『新古今和歌集』、途中からは『玉葉和歌集』『風雅和歌集』を愛読するという偏りぶりでした。

ここ数年はすっかり「京極派の人」となってしまった梶間和歌ですが、
そう、もともと、そして長年バイブルとしてきたのは京極派の勅撰和歌集ではなく『新古今集』。
諸芸の天才にして凄まじい努力家でもある帝王、後鳥羽院が撰集命令を出し、かつ本人がその編纂に深く関わったことで知られる勅撰和歌集です。


兄君安徳天皇の都落ちという状況で思いがけず皇位に就き、退位後は和歌をはじめとしたさまざまな道でその才能を発揮、
なかでも和歌の道においてはのちに「新古今時代」と呼ばれる一大ムーブメントを牽引し、和歌史に燦然と輝く『新古今和歌集』を編纂した後鳥羽院。

彼は承久の乱に敗れたのち、現在の島根県隠岐おき海士あま町に遠流おんるとなり、人生の後半をそちらで過ごすことになります。


その海士町には梶間和歌も学生のころから縁があり
ここ数年は海士町主催の後鳥羽院の名を冠した和歌大賞で入選したり一等の賞を受賞したりして、心の距離がますます近づいているところだったのですが……。

令和五年分の表彰式で十年以上ぶりの来島を控えた2024年8月、海士町に住む歌友、有泉さんのこのような記事を発見したのでした。


「ごとばんさん芸術文化祭」内の企画、「言葉と写真のかえしうた~涙をふいて!ごとばんさん~」
後鳥羽院の詠んだ「遠島百首」から好きな歌を選び、それに対して「かえしうた(和歌でも、和歌形式でなくてもOK)」をし、適切な写真と組み合わせた作品を創る、ですって……!?


しかし、梶間和歌には悪い癖がありました。
「せっかく応募するなら『遠島百首』をきちんと読み込み、できれば勉強してから、よくよく練った一首を送りたい……」

まあそんなノリで臨んでいたら誰ひとり応募できないわけで、どう考えてもそのような姿勢は求められていないのですが、
おかしなところだけ完璧主義な梶間和歌、この企画を気に懸けながらもそのまま日を過ごしてしまっていたのでした……。




「ごとばんさん」と和歌を詠む ~海士町ゆかりのワークショップ参加レポ~

「ごとばんさん」が呼んでいる……

週2勤務のアルバイトも閑散期で和歌仕事に集中できる8月も終わり、和歌以外のことが少し忙しくなってきたか、という9月6日。
日勤を終え、自炊用の買い出しも済ませ、洗濯機を回し、湯船に浸かって疲れをほぐしていた時のことです。

日ごろから入浴中ぐらいしかSNSを覗く時間もなく、その日もお風呂の中で友人たちの動向をぼおっと眺めていたのですが、
そんな折、海士町の有泉さんのこちらのポストが視界に飛び込んできたのでした。


数日前に「枠がほぼ埋まっている」と言っていたやつだ!
そして、noteに書いてあったあの企画とも連動しているやつだ!!

月曜日は朝から日勤に出ていることが多いのですが、9月9日は珍しくバイト休み、前日の8日に夜までのイベントに出ても支障はなさそう。

プチ完璧主義ゆえに着手に躊躇していた私でも、ほかならぬそれを創るイベント・・・・・・・・・に出さえすれば「かえしうた」は創れるはず。私に必要なのは時間より環境なのだ。
先延ばしにしていた「遠島百首」が……ごとばんさん・・・・・・が、私を待っている……!!!!!


和歌「空きがあるなら行く! 」
有泉「いいよ! 」

(実際はもっと丁寧なやり取りです)


和歌業界、せっま!

東京暮らしは長くとも根っからのシティガールではない私はまず

「谷中とは? ヤナカ? タニナカ? 」

状態でしたが、文明の利器、天下のGoogleマップにお世話になり会場の「さんさき坂カフェ」様を検索し、最寄り駅を確認、
谷中がヤナカでもタニナカでも問題ない状態になりました。

9月8日当日。
地図では千駄木駅から少し歩くと見えたのですが、思ったより早く、Xで確認していたこの壁に遭遇しました。わーい!

(イベント期間中のみの壁画アートだそうです。もう白壁に戻っているのかな)


開始より早く着いてしまい、準備中の会場の隅で待たせていただいていると、

「和歌の会に申し込んでいる……です」
という声が。

「あれ、うっちー先生? 」
「あれ!? 梶間さん!!? 」

なんと、数年前梶間が講師を務めた「歌塾」の主宰、内田先生と思いがけず再会!
いまは得度なさり内田圓学さんとおっしゃるそうです。
和歌の世界は狭いですねえ。

全身を撮られるとわかっていたらハイヒールを履いて来ただろう……不覚!


登場! おもしろすぎる宮司様

さて、ワークショップ本編のレビューもしたいのですが、

進行役の村尾茂樹さんがいちいちおもしろすぎました。まじめにレビューしようとすると笑いがこみあげてきて、できません。


「冒頭zoomのほう手間取ってしまってすみません。海士町にインターネットが通ったのは昨年のことで……」

「ごとばんさんの歌の解説に入る前に、会場で何か質問があれば……ああ、それでしたら、ああでこうでそうで、隠岐は鳥取県だった時期があるんですよ。というのも、廃藩置県のころに松江藩のお役人とああでこうでそうで、その後鳥取藩とああでこうでそうで……」
「村尾さーん! 興味深いお話の途中恐縮ですが、解説したいなー!!! 」

「応募できる作品はひとつだけですか? 複数『かえしうた』を出してもいいですか? 」
「いいですよ! この紙8千枚ありますから」
この紙8千枚、が冗談であることに気づくのに梶間は30分ぐらい掛かりました。ダメだよ、冗談の通じない人にそんなボケをかましては……!

「Xのほうでも皆さんのアカウントはありますか? 今回のイベントのポストにタグ付けなどされているのでしょうか? 」
「たぐ? えっと、海士町にタグの機能はまだなくて……」
「あ、ほら、村尾さんタグ付けしてますよ」
「知らずに機能使いこなしてるwwwww 」

ばっちりタグが付いていますね!


このおちゃめな村尾さんは隠岐神社の宮司様で、かつ海士町議会議員さんでもいらっしゃるとのこと。
梶間が来月、和歌大賞の表彰式ツアーで来島する際にも再会できるようです。なんといっても、表彰式の会場が隠岐神社ですしね!


梶間和歌の詠んだ「かえしうた」を一挙公開

さて、さて、本題の「かえしうた」です。

後鳥羽院の「遠島百首」はもちろん100首の歌で構成されるわけで、時間の限られたワークショップですべてを読むことはできませんでしたが、
海士町の有泉さんが9首をピックアップして資料に掲載、うち4首ぐらいだったかな、オンラインで解説してくださいました。

「かえしうた」を創るパートでは、海士町のふくぎ茶を頂きながらおのおの黙々と取り組みました。

「かえしうた(かへしうた)」ということで、梶間がいつも取り組んでいる本歌取りと似通う部分もありながら、
ある程度はメッセージ性、【心を返す】要素がなければ成り立たない気もして、ただ本歌取りすればよいというものでもない……。
9首すべてに返そうと試みたものの、人に見せられる完成度のものは4首のみかな、という感じでした。

(「和歌を本分とする梶間の歌として人に見せられる完成度のものは」という意味です。大勢の方に気軽に参加してもらいたいはずの企画のハードルを上げる意図はございません、ご了承ください)


「ごとばんさん芸術文化祭」開催前でも公開して構わないとのことでしたので、この日詠んだ4首をこちらに掲載します。


おもひやれ真柴ましばのとぼそ押し開けてひとり眺むるあきの夕べを

遠島百首39

かへし 梶間和歌
波ちかき庭の真しばをながむればそよやさゝめく秋の夕風

波の近く聞こえる宿より庭の真柴垣をぼんやりながめていると、八百年前に「おもひやれ」と叫んだ新島守にいじまもりに応えるように、「そよや、そよそよ……そうよそうよ」とささめく秋の夕風よ。


ふるさとを別れ路にふるくずの葉の風はふけどもかへる世もなし

遠島百首41

かへし 梶間和歌
別れ路の葛のうらみの秋風にかへるさとほき隠岐の島守

あなたが京に別れを告げたあの場所に生える葛がひるがえり、白い葉裏を見せる裏見ーー恨みの秋風に、葉は返るけれど、京に帰ることの遠く運命づけられた隠岐の島守よ。


しほかぜにこゝろもいとゞみだれ芦のほにでゝ泣けどとふ人もなし

遠島百首77

かへし 梶間和歌
とふ人もなき島守をたづね来て千鳥しば鳴く冬の芦原

訪う人もないと嘆いた島守を尋ね来て千鳥のしば鳴く、そんな冬の芦原よ。
千鳥は友千鳥ともいうが、八百年後、あなたを慕って大勢の友がこの島を訪れていますよ。


限りあればかやが軒端の月もみつしらぬは人の行く末の空

遠島百首100

かへし 梶間和歌
行く末はれか白萩しらはぎ露冴えて茅が軒にも澄める月影

行く末のことなどれか知らまし……知っている者などだれもいませんよ。
白萩に置いた露は冴えて、粗末な茅葺かやぶきの軒にも京の空と分け隔てなく澄み渡る月影よ。


『万葉集』に1例だけ出てくる「白萩」は「あきはぎ」と読むべきであると聞きます(陰陽五行説において「秋」は「白」色で表される)ので、
「知らず」を掛けて「白萩」として果たしてよいものか悩みましたが、
平安時代の終わりごろには「白い萩」の意味で「白萩」が使われているようですし、鎌倉時代のごとばんさんには許容してもらいましょう。


予想どおり場の力に助けられ、短時間で4首の「かえしうた」を詠み、応募まで済ませることができました。
急な参加申し込みを受け付けてくださいまして、主催・運営の皆様、また会場のさんさき坂カフェ様、本当にありがとうございました。

創作中はそれぞれ集中していましたし、ご参加の皆様とゆっくり話す機会もありませんでしたが、
主催側の何名かの方とは少しお話しできまして、SNSをチェックしたり。うれしかったです。今後ともよろしくお願いいたします。

また来月末に来島する際に、全員は無理でも一部の方とは再会できるでしょうか。楽しみです!


ごとばんさんへの「かえしうた」、あなたもぜひ

海士町とは、出身地ではないながらなんだかご縁がある、ということでゆるやかに意識しながら生きて参りましたが、
ここ数年で友人、それも和歌をとおしての友人が増え、うれしいことだなあとしみじみしております。

地元ではないですが、今後も何かしら関われたらおもしろいな。
広くいえば同じ島根県ですしね! (梶間は島根県益田市出身)


まずは、今年も応募した和歌大賞の結果を心待ちにしつつ、
来年の「ごとばんさん芸術文化祭」でも「言葉と写真のかえしうた~涙をふいて!ごとばんさん~」があるならば、※先延ばしせず※ぜひとも応募したいものですね。

海士町の皆様、会場であるさんさき坂カフェの皆様、ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


そして、この記事をきっかけに「言葉と写真のかえしうた~涙をふいて!ごとばんさん~」企画を知ったあなた、
また私のように知ってはいたものの先延ばしにしていたあなた、
企画のことは知らなかったけれど、海士町って以前からIターンなど何かと話題で、興味があったな~というあなた、

これをお読みになったのも何かの縁です。
ぜひ、ぜひ、こちらからいますぐ応募してしまいましょう。
和歌や短歌、俳句形式でない、一言二言のメッセージでもだいじょうぶとのことです。昨年の作品例も掲載されています。躊躇することはございません。


「遠島百首」は、仮名表記ですがこちらからすべて読めます。


Instagramのこちらのアカウントも、人によっては読みやすいかな。


このイベント参加レポから、一作でも多くの「かえしうた」が集まりましたら、大変、大変幸いです!

梶間のように何作送ってもよいそうですし、1首、1句、1作だけでももちろん。
自分で写真を撮影するもよし、写真は任せて言葉の部分だけ創作するもよし。
「ごとばんさん芸術文化祭」、また「言葉と写真のかえしうた~涙をふいて!ごとばんさん~」企画をともに盛り上げて参りましょう。


PS.「遠島百首」すべてに返歌する企画、個人的に、noteでやろうかな……!?


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梶間和歌の出身地島根県とゆかりの深い隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯や、令和5年分の大会結果、そしてその後……noteのマガジンとして連載して参ります。
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梶間和歌がつつがなく和歌創作、勉強、発信を続けるため、余裕のあります方にお気持ちを分けていただけますと、
私はもちろん喜びますし、それは日本や世界の未来のためにも喜ばしいことであろうと確信しております。

「この無茶苦茶な生き方を見ていると勇気がもらえる」
「こういうまっすぐな人が健康に安全に生きられる未来って希望がある」
なんて思ってくださいます方で、余裕のあります方に、ぜひともご支援をお願いしたく存じます。


noteでのサポート、その他様々な形で読者の皆様にご支援いただき、こんにちの梶間和歌があります。ありがとうございます。

特にこのたび令和五年の隠岐後鳥羽院大賞和歌部門で古事記編纂一三〇〇年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込みましたが、こちらのツアー代金(9万円弱)は生活費と別に工面することになります。
お気持ちとお財布事情の許します方に、ぜひともご支援を頂けましたら幸いです。

このツアーの様子はこのマガジンで連載して参ります。どうぞお楽しみに。


今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。


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