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子プリVol.1ふりかえり

気づけば7月ということで、2020年も折り返しですね。

さて、今年は子年ということで、子年生まれの歌人だけを集めたアンソロジーを年のはじめに公開していました。

本当はVol.0と同じように一首選をしたかったのですが、せっかくなら半年くらい経ったところで一首選したらまたみんなの目に触れるかなと思って温めていました。(ということにさせてください)

さて、ではさっそく。全員分の連作から1首引用したうえで、簡単に連作の評をしてまいります。(※僕の主観もそれなりに入ってしまっているので、もしかすると子プリを一読してからこの先に進んでいただいたほうが楽しめるかも知れません)


絶対に我のかなわぬ文才を見つけてしまう ノートの端に
キールさん「TT」より

キールさんの連作は、国語教師としての日々を綴ったものでした。主体の目線が絞られていて、うたの日で拝見する端正なキールさんの歌とは一味違う魅力があるように思いました。なかでも、静かなのに生々しい手触りがあったのがこちらの歌。創作を行う人間にとって、教師になるということは必ずしもすべてを納得した上での選択ではないのかもしれません。(自分は音楽に重ねてしまいました)この歌も「しまう」という言葉から、必ずしもポジティブでない感情が伺えました。それでも、教え子への真っ直ぐな視線が並ぶ中に連作の中で、この歌もどこか暖かさを湛えているようにも思います。全てひっくるめて、大人の視線だなぁと思いました。

つま先で立つ癖なんてこの先も続けるでしょう傍にいたいし
深山静さん「今年も持久走」より

深山さんの連作は、一言でいうと相聞なのですが、飾らない生活の断片が散りばめられていて、どことなく毛布のような手触りがある連作でした。引いてきたこちらの歌は、おそらく相手よりも少し背の低い主体が少しでも相手の顔に近づきたくてしてしまう癖を読んだものなのでしょう。「癖なんて」という突っぱね方と、「続ける」という裏切りを、「傍にいたいし」と柔らかく受け止めるのが(読者に対してというより)この歌が向けられた相手に対するツンデレ感なんだろうと思われ、なんだかほっこりする歌でした。

おそろいと少女は笑う下手くそとつぶやく俺もまんざらじゃない
花房香枝さん「少女風花」より

香枝ちゃんのこの連作は一首だけ引くの難しかったw 12首でひとつのストーリーが構築されている、ファンタジー相聞。一首一首の独立というよりも連作の世界観で読んだほうが面白い作品だと思いました。その中で悩んで引いてきたのがこちらの歌。少しベタではあると思うのですが、安心して尊さに悶絶できるというか。おそらく、実景を匂わせてしまうとここまで素直な表現は(却って)難しいと思ってて、ファンタジーだと分かる作りだからこそ、シンプルで美しいものに映るのかなと。たまにはこういう感情を摂取するのって大切ですよね…本当にありがとうございました…。

五月晴れなんて世の中浮かれてて私の部屋には日陰すらない
ことりさん「カレンダーを捲る」より

ことりさんの連作は、12首というレギュレーションを利用して干支…ではなく、12ヶ月を詠んだ連作です。ことりさんと言えば…という期待を裏切らない大人の相聞が並んだ連作ですが、その中で目を奪われたのがこちらの歌。五月晴れに浮かれている世の中が上句で提示されて、下句の「私の部屋」で対比に持ち込むのかと思いきや「日陰すらない」で受け止められて、初読で裏切られる感じが印象的というか。歌意を紐解くと、それまで一人だった部屋に同居人ができて、きっと相手は悪気なく、ずっと明るいんだろうなと。明るいのは良いことだと思われがちですが、一人で守っていたい日陰もある。そんな葛藤を描いた歌だと思いました。

知らぬ間に降り止んでいたその雪が今年最後の雪だったこと
己利善慮鬼さん「ノクターン」より

あああ好き!慮鬼さんの美学があふれんばかりの、12首の連作です。相聞要素もあるのですが、なんだろう、それよりも自然詠というか、世界詠というか。一首一首がとても強い詩情を湛えていて、どれを引いてこようか迷いました。引いてきたこちらの歌は、連作の中ではもしかすると静かな歌のほうかも知れません。でも、『すべてのものに終わりはあって、その終わりが必ずしも劇的なものじゃない、誰からも注目されないこともある』というような、大きなメッセージが紡がれているのだと感じて、それを「雪」に託すという何でもなさがじわりと染みてくる歌でした。(慮鬼さんはVol.0で「セレナーデ」という連作を出していて、タイトルに連関をもたせてくれているのも主催者としては嬉しいものでした。)

ポジティブは意識なんだよ生まれつきポジティブな奴なんていないよ
ちーばりさん「ハッピーニューあたし」より

ちーばりちゃん、強くなったなぁ…って感じの連作でした。(※彼女は筆者が短歌をはじめて間もない頃からの友人なので、こういう読み方を許してください)もっとも、強くなることに対する葛藤とか、成長痛みたいなものが散らばっている連作なので、一言で「強くなった」って言うのも違うのかなあとは思いつつ。自分の機嫌を自分で守れるようにする、っていうのはひとつの大人の姿であると思っていて、そこを目指して自分を鼓舞するような連作は紛れもなく青春詠だなと思います。「ポジティブは意識なんだよ」と、ズバッと言い切ってしまうこの歌。言葉に力は感じるけど、たぶんそれは本当のポジティブではなくて…っていう深読みができてしまうあたりに葛藤が感じられて、リアルです。半年経ちましたが、ハッピーイヤーになっていますか、友よ。

やなこともネタと思えばブルーから水色になる短歌の効果
諏訪灯さん「うたうくらし」より

諏訪灯さんからは、短歌を詠うことをテーマにした連作が届きました。引いてきたこちらの一首は「ブルーから水色になる」という比喩が素敵だなと思いました。確かに、短歌を始めてから「あ、これ短歌のネタになるな」と思えば気が紛れる瞬間がしばしばあって、これは多くの歌人が共感する「あるある」ではないでしょうか。そして、ただのあるあるじゃなく、前述の比喩を挟んでいることで、メタ短歌の中に短歌の構造が入るという効果を生んでいる。秀逸だなと思いました。

雨がふるふる紅葉ちるちる雪がふるふる桜ちるちる満ちる
雨虎俊寛さん「三年目」より

雨虎さんの連作は、終わった恋を詠ったものです。(引いてきた歌ではないですが「葡萄色の列車」というフレーズを見て、紙面では思わず阪急電車の画像を探してきました。)取り上げているテーマゆえに、非常に内省的な連作に見えますが、街の景を示すアイテムが散りばめられているので、主体の感情だけでなく、情景がフィルムのように像を結ぶ連作だなと思いました。引いてきた歌は、「雨がふる/ふる紅葉ちる/ちる雪が/ふるふる桜/ちるちる満ちる」と、字数的には定形なのですが、句跨ぎが多用されていて、一年の景が主体自身の時間の流れと関係なく過ぎ去っている様が表現されています。一見、言葉遊びのようにも見え、また、平仮名がとても柔らかな印象を与えますが、主体の意識が世界と隔絶されていることが韻律で伝わってきて、胸が引き裂かれるような思いになる歌です。

仕事帰りの黒いコートはまばらなり 少しだけ息を解いて座る
中武萌さん「猟犬とディアナ」より

中武さんの連作は、修士課程卒業直前の年末を描いたもの。どの歌も景のディティールが真摯で、即時性というのでしょうか、今そこに流れている時間の手触りが感じられる連作のように思います。引いてきた一首は(年末という時間軸は連作の流れでしか伺えませんが)これが公共交通機関における景であることは容易に伝わるのではないでしょうか。「少しだけ息を解いて」という表現から逆説的に、主体が普段、息が詰まる用な思いをしていることが伝わってきます。少しだけ長い学生生活の最後に、街ですれ違う「仕事帰り」の人に対して覚えてしまう、そこはかとない所在のなさ。それを匂わせながらも、「座る」で締めるところが素敵です。最後は自分を蔑ろにしないところが。

久しぶり、ばかり得意になっていく筆ペンすこしインキが漏れる
草薙さん「ひとまたぎする」より

草薙の連作は、家族詠を中心に据えて年末年始のあれやこれやを詠ったものでした。短歌って、少し後ろ向きな感情を込めたほうが形にしやすいと思うのですが、そうでなく、嫌味のない角の丸さで暖色系にきちんとまとまっているのが作者の持ち味だと思います。引いてきた歌は、年賀状を書いているシーンと思われるもの。確かに、年賀状でしか連絡を取らない友人って少なくないもので、「久しぶり」を何度も書くことはよくある景だと思います。それを描いた歌に表現されている感情が、「ばかり」に若干の寂しさが伺えるものの、「得意になっていく」であることに好感を覚えます。そうして、結句で漏れるインキは、主体が友人のことを想う感情と重なるようです。単独で見ると少し悲しげにも見える歌ですが、連作の中ではこれも暖色の一端を担っているように思います。

キッチンの暗視カメラに映るのはきゅーそきゅーそと鳴くクマネズミ
枡英児さん「カウンターシフト」より

枡くんの連作は、世界と主体のせめぎあいを描いたものであると捉えました。これは彼自身の個性と言っていい作風であると思っているのですが、時には乱暴な言葉で何かを貶しながらも、歌全体としてはネガティブな感情に支配されない。ネガティブを放し飼いにして、他人事のように捉えて楽しんでいるような、達観に近いものを感じます。引いてきた一首は『そんな鳴き方をするクマネズミいないだろw』と一笑に付すこともできそうなものなのに、それを許さない説得力があります。これはなんとなくシュルレアリスムに近いのかもしれない。キッチンの闇で追い詰められているように見えるクマネズミを、わざわざ暗視カメラで映しているだけなのです。存在に与える意味を規定しながら、決してそのありようを邪魔するものではない。この距離感は、この制約の多い詩形だからこそ表現できることなのかもしれません。

もうだれも悲しまなくてすむように鳴らし続けているアルペジオ
谷口泰星さん「jam jam」より

泰星くんの連作は、音楽の要素を散りばめた、内省的な作品です。散りばめた、というよりは、それが軸かもしれない。主体の背景を具体的に伺わせる歌は一首として用意されていませんが、音楽の道を歩むことを諦めた、もしくは、諦めようとしている、感情の隙間みたいなものを感じます。引いてきた一首の、アルペジオとは分散和音のこと。それ自体がメロディになることもないわけではないですが、流行音楽では伴奏であることがほとんどでしょう。主役にはなれないけれど、その音がそこにあることで救われるメロディがある。ただ、アルペジオって伴奏で弾いている方はわりと大変なんですよね。できるだけ均質に、邪魔にならないように。主体の、静かで強い意思が感じられて、美しい一首だと思います。


私の評は以上です。長くなってしまいましたが、最後に私の連作「楽園の雪」にもありがたい一首評をいただいているので、リンクを紹介させていただきますね。

それでは皆さん、子年後半も頑張っていきましょう!


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