短歌月九ネプリ 第四回『カイゲーン大作戦』三首選
こんばんは。若枝あらうです。
1月からスタートしたネプリ「月九」、第4号の配信終了が明日に迫っております。GWのためまだお手にとっていただいていない方も多いかもしれません。是非、下記ツイートを参考にお手にとってくださいませ。
以下、三首選。
子づくりの「づくり」は作でいいですかまさか創なら許しませんよ / 西村曜
「子づくり」の漢字を問うというシーンそのものも印象的だが、「作」ではなく「創」なら「許しませんよ」という強いメッセージが込められている。「創」ならどんな不都合があるのだろうか。あくまでわたし(筆者)の印象ではあるが、「作」と「創」のあいだには、人と神の違いがあるように思う。子を為すにあたり、神のような万能感を持ち込むなということだろうか。この読みが作者の意図通りであるかの確証はないが、おそらく、そこに各々が思いを馳せられることにこそ、この歌の意義があるように思う。とても強い歌だ。
休み時間に取り残された鬼のままアルコールランプの火を震わす / 近江瞬『無作為』より
先に技術的なところから触れたいが、下の句の韻律に工夫が効いているように思う。通常の七七のリズムからは大きく外れているが、句をまたぐ瞬間の半濁点がなんとも心もとなく、炎が頼りなく揺らいでいる様子をイメージさせる。上の句の「休み時間に取り残された鬼のまま」は、おそらくリアルな鬼ごっこと読むべきではないだろう。本当に鬼なら、取り残されることなどないはずだから。では、主体は何を追いかけることから取り残されているのだろうか。その何かに思いを馳せるのも、この歌の大切な余白に思えた。
区切られた砂場にひとりどうしても地球に似てしまう泥だんご / 近江瞬『無作為』より
一読したときは一句目の「区切られた」が説明的すぎやしないかと思ったが、それでもなんだか心に残る歌で、何度も読むうちに考え直した。「区切られた」と「ひとり」で、いかに主体が世界から切り離されているかを表現しているからこそ、下の句の「地球に似てしまう」の強さが際立っている。主体は孤独のなか、自分の可能性を強く信じている。なんと健気な景だろうか。どうか、その手が地球をつかめますように。
今回の記事は以上です。
今後も #短歌月九ネプリ をよろしくお願いいたします!