知っていますか?【日本庭園に隠された中国文化】①奈良~平安時代
庭
日本各地には多くの伝統的日本庭園が保存されている。
それらは日本の伝統文化のひとつとして、海外からの旅行者にも高く評価されている。
庭園文化が中国大陸から日本に伝わったのは 6 世紀の中ごろ。
それ以後日本庭園は繰り返し中国文化を取り入れながら、変遷発展した。
日本庭園にはどのような中国文化が隠されているのか
各地の庭を見ながら、その秘密を探る。
全体構成: 田中昭三(たなか しょうぞう) profile
1943年和歌山県生まれ、76 歳。京都大学文学部卒。日本の伝統文化の全集を多数企画編集。現在はフリーで取材・執筆に取り組む。庭園文化研究家。著書に『京都とっておきの庭案内』『よくわかる日本庭園の見方』『江戸東京の庭園散歩』ほか。
▲天龍寺庭園。曹源池の対岸築山に龍門瀑が組まれている。
斎藤忠一(さいとうただかず) (作庭家) profile
福島県出身、80 歳。東京藝術大学卒業後、作庭家の重森三玲(しげもり みれい)に師事。各地の
古庭園を実測調査。著書に『日本庭園鑑賞事典』『図解日本の庭』など多数。
知っていますか? 日本庭園に隠された中国文化
日本庭園は飛鳥・奈良時代から現代まで 1300 年ほどの歴史を誇っています。その間、主に江戸時代まで、日本庭園は中国文化の影響を受けながら発展・変遷を続けてきました。
例えば、伝統的な日本庭園には蓬萊島や鶴島・亀島が数多く造られています。これらは古代中国の道教思想の影響によるものです。
平安時代後半には、京都を中心に浄土式庭園が生まれます。西に阿弥陀堂を建て、池の反対側、つまり東側から阿弥陀様を拝む構成の庭園です。これも、中国から伝わった浄土教の教えを庭に表現したものです。鎌倉時代に中国から禅宗が伝わりました。禅宗の教えは、庭園に新しい造景を生み出します。それが龍門瀑や枯山水です。
また江戸時代の大名庭園では、中国杭州の名勝・西湖を写すことが流行します。
日本庭園はとかく自然の風景を写したもの、といわれますが、単にそれだけではありません。実は日本庭園には、中国古代の思想や文人たちの好みなど、いろいろな要素が込められているのです。それを解きほぐし読み解いて行くと、庭園を通して繰り返されてきた日中文化交流の歴史が見えてきます。
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