『東京クルド』の感想②
昨日に引き続き、今日も『東京クルド』の感想を書いていこうと思う。
こちらは予告編
今回はオザンとラマザンの二人の登場人物にフォーカスしていきたい。
二人はわたしが見るに全く対照的な性格だ。河岸でラマザンがオザンを励ましているシーンがあるが、ラマザンは楽観的で、社交的。オザンはどちらかといえば悲観的で孤独を好むようなところがあるのではないかと感じた。
そして、ラマザンが将来のために、希望を捨てずに努力するタイプだとしたら、オザンはどこか刹那的に生きているように感じた。
どちらかといえば、わたしもオザンタイプだから、共感できる。
そして、ハタと気がついた。難民という大変な立場におかれていても、悩みはそれだけではないことに。誰でも将来の不安があり、親との関係に葛藤する。それが青春時代ということだ。そして、映画の冒頭のように、ボーリングをしてはしゃぐこともあるし、川べりで語り合うこともある。
映画は「難民」というのは何も特別な人ではなくて、自分と同じ人間だということをちゃんと見せている。
二人だけではない。映画は二人を取り囲む人間の表情も映し出す。ラマザンは「仮放免」だからといって専門学校の入学を断られる。それでも諦めずに勉強し続けて、受験し続けて、合格した専門学校の入学式。スーツ姿のラマザンにお母さんは目を細める。子どもの成長がうれしくないお母さんはいないだろう。お母さんの表情はとても素敵だった。
一方、オザンはもっと親に自分を見て欲しかったと語る。本当のところはわからない。でも親も子どもを連れて外国に来て働き、ものすごく苦労していたのではないか。オザンの言葉に胸がしめつけられる。
自分のことを周りが認めてくれないと思うとき、なぜか人はコツコツと努力することをやめ、突拍子もないことをして、周りの注目を集めようとしてしまう。それは若気の至りなのかもしれない。オザンの行動のなかにそういう気持ちの萌芽が見えたような気がして、悲しくなった。
この映画は、彼らの生きる毎日を見せながら、彼らの語る日常や生い立ちを丁寧にすくい取りながら「難民」としてこの日本で生きる人々は特別じゃないのだと教えてくれる。入管制度の現状を声高に訴えるわけではなく、淡々と映画は進む。その流れに観る人はのせられていく。
そして映画が終わるころ、観る人は彼らの存在を自分自身に刻み込んでいる。いい映画だと思った。
日向史有監督のインタビュー記事
また少し違うけど、参考文献かもしれません。
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