わたしとフェミニズムー『愛と家事』を読んで
日本語教師のわかばです。京都を拠点に関西で日本語を教えています。
ときどきライターとして記事を書いたりもします。
GWが終わりましたね。GWこそ勉強を進めるチャンスだったのですが、家族もいるし、どうせ思ったほど進まないだろうということで一切やめました。すると、なんの罪悪感もなく、心の疲れもなく、じっくり休めました。「やらない」って決めること大事だし、休みときは休む勇気を持つのも大事だなとおもいました。
やったことといえば、noteの更新と少しのレッスンと読書くらいです。そんななかで読んだ一冊の本を紹介したいとおもいます。
こちらです。
日本語教師でもあり、ライター、編集者でもある太田明日香さんとは、何度かお会いしたこともあるのに、未だご著書も読んでおらず、遅ればせながら拝読。そして、なぜもっと早く読んでおかなかったのか……と後悔することとなりました。
本作は、昨年末に読んだ『82年生まれ、キム・ジヨン』とも重なるところが多々あり、それはつまりわたし自身の人生とも重なるところがあるということでした。
特に印象に残ったのは、生い立ちの部分とフェミニズムに関する部分です。
筆者は兵庫県淡路島の生まれで、本作から想像するにかなりの閉鎖的な村社会。かくいうわたしも滋賀県の東海道などが通る地域と琵琶湖を挟んで反対側に生まれました。それは琵琶湖と山が近く、陸の孤島とも言われている場所です。
最近気付いたのですが、昭和の終わりから平成のはじめにかけての田舎というのは情報格差があるという点で都市部とかなり違っています。そして、まず家庭という壁があり、さらに村という壁がある。その二重の壁に取り囲まれた、閉鎖された社会でした。今はインターネットという風穴がありますが、思えば、それがない時代では本や雑誌や映画などの文化が風穴でした。
本を貪り読み、雑誌を眺め「早くこんな世界に行きたい」と願っていました。
筆者を書くことへと導いていったのもそういった背景があるのかなと感じられるほどに、筆者の文体から窒息しそうな息遣いが感じられました。
わたしは、もろに家父長的な父親の支配する家で育ちました。父親はなぜか私を教師にしたいようでした。とにかく教師(公務員)になれば自分が安心できるからでしょう。自営業の父親が考えそうなことです。父親がわたし自身のためでなく、自分の安心や世間体のためにそういうことを言うのだと気づいていたので家を出るまではとにかく反発し続けました。
大学の留学制度でメキシコへ行った時、メキシコにはロサリオ・カステヤーノスという作家がいるということを知りました。女性と先住民に寄り添って生きるロサリオの生き方と作品に感銘を受けて帰国しました。
そして、帰国すると日本の社会ではそんなことを言っている自分がなんだか場違いに思えて恥ずかしくなり(他にもあるけど話すと長いので割愛)、フェミニズムからは離れていきました。
そして、二人の娘の母親になった今、やはり生きにくさを感じています。そして、フェミニズムについて、あらためて考えさせられています。自分が今まで揺られながら迷いながら、強く握ったり離したりしながら、常に考えてきた「自分の女性性」について、肯定されているような安心感を筆者の文章から感じることができました。「違う道を歩いてきたけれど、会うことができてよかったね!」そんなふうに感じました。
筆者もフェミニズムに対して、最初は憧れや反発を感じ、それでも、いきていく中で自分の中からフェミニズムやフェミニストについて答えを出していきます。
わたしなりのフェミニストの定義というのは、性別に関係なしに人を尊重する人のことだ。そして、フェミニストであろうとする姿勢が、性差別とか差別をなくしていくと思う。
(本文より)
わたしはまだまだ答えが見つからないけれど、でも、男性と女性、日本人と外国人などと考えることなく「人間が」と考えたいと思っています。
人間は本能的に優劣をつけたがるものだけど、一歩立ち止まって考えたい。もちろん、間違うこともあるけど、その都度、自分を省みながら歩んでいきたいです。
感想を書くつもりが自分語りの文章になってしまいました。『愛と家事』を読むと多分、みんな自分を語りたくなるかもしれません。それは、恥ずかしいことではないので、誰もが自分のことを誰かにどんどん語ればいいのだと感じます。なぜなら『愛』も『家事』も全ての人生にはなくてはならないものだから。熱がこもりながらもどこか冷静で、みずみずしい、筆者の文章。きっと人生の折に触れて、読み返すことになりそうです。
皆さんもぜひ読んでみてください。
では、また!
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