流れてくる情報に流されていると気付く度に目が覚める
【冥王星水瓶座入りに寄せて】
あの事件以来、久しぶりに特急電車に乗った。
ホームに溢れかえる人を見てちょっと怖気づいたが、一番混み合う区間は20分ぐらい。それぐらいならと夫に付き合って電車に乗り込んだら、案の定あっという間に押し込まれて身動きが取れなくなってしまった。
おまけに鼻息がかかる距離には人の顔があったので、首も動かせなくてホントに参った。
コロナ騒動があって、あんな事件もあったのに、また元通りの満員電車とは残念過ぎる。。
その夜、はじめて映画ジョーカーを観てみた。
視点によって世界は色々な見え方になるものだ。まったく共感は出来なかったが、ホアキン・フェニックスの演技には引き込まれてしまった。
それにしても、あの酷い満員電車でも携帯を見ている人がいて驚いた。人壁に挟まれ、顔前は10センチほどの極狭スペース、顔には私の鼻息もかかっていたはずなのに、そんな状況でも携帯を見続けられるなんてすごい集中力だ。気を紛らす為にそうしているのかもしれないけど、なんだか携帯に魂を奪われてしまったようにも思えた。
最近は道を歩いていても、携帯から目を離さずに突き進んでくる人をよく見かける。だんだんと”心ここに在らず“の人が増えているようだが大丈夫だろうか?
それこそ風の時代は、知性と情報の時代なんて言われているが、技術の発達と共に大量の情報が洪水のように押し寄せてくるからこそ、流れてくるものに心まで流されないように気をつけないといけない。
本格的に冥王星が水瓶座に入っていくと、こうしたことが益々問題になっていくかもしれないので、備忘録を兼ねて気になっていることを書いておこうと思う。
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さて、エコーチェンバーやフィルターバブルという言葉を聞いたことがあるだろうか。
自分が好んでフォローしているものに基づいて、どんどんと流されてくる情報ばかり眺めていると、思想が偏ったり、思考停止に陥ったり、偏った世界の住人になってしまうこともある。といった感じのこと。
SNSというのは、自分から情報を取りにいかないでも、好みの情報がどんどんと流れてくるからいいのだが、それがマズイ。私も気づいたら何時間も経っていたなんてことがよくある。
そして、携帯の中の人が言うことはスルッと信じてしまうので、これもまたキケン。会ったこともない人の話を鵜呑みにするなんて、生身の人間ならあまりないが、SNSなんかにはそういう特性があるらしい。私なんてスピ界隈の情報を見続けていたら、うっかり自分は地球を助けるためにやってきた宇宙人だと思ってしまった。
まあ、そうじゃないとは思うが、もしかしたらそうかもしれない。だとしても、「その話をしている人はどんな人物なのか?」と考えるような別の視点も持っていた方がいいだろう。
周囲の人に話したらバカにされるから、そういうことがわかる人とだけSNSで繋がっていればいい。なんて考えるようになってしまったなら、ちょっと洗脳っぽい。
この多様性の時代に、自分を評価してくれる人や、同じような趣味や思想を持った人のみで形成されたコミュニティーの中で生息する人が増えていくというのは、やっぱり何かおかしい。多様性というのは、様々に異なるものが同じフィールドに存在すること。「異なるものを受け入れない」が行き過ぎれば、イジメや戦争の構図にもなっていく。
たとえバカにされたり、否定されたとしても、生身の人間と会話して、自分とは異なる視点も取り込んでいくことは大事なことだ。
人と人はわかりあえない。だからからこそ価値がある。
11/20に冥王星が水瓶座に入ると、これからじわじわと私たち人間にとって最も価値があることが失われていくように感じることもあると思う。
超少子高齢化時代だけにリアルに人間も減っていくが、偏った世界へと引っ越していく人がどんどん増えていけば、人と人が意見を交わし合うような、血の通った交流が失われていくことも深刻な問題になるかもしれない。
自分とは違うものにも関心を向けること。異なる意見を恐れず、否定せず、生身の人と対話し続けること。これは、意識的にやったほうがいい。