私が魅力的に感じられるのは当たり前 私の表現がおもしろいと感じられるのは当たり前 私は私を好きだし 他人も私を好きになって当たり前 そういうマインドを育てることに これまでの人生注力してきた あるべき生き方だと断言する。 この私に影響を与えてみろ そう思って他人と関わっている
最近病んだ人と恋愛をしたことで、私自身が抱える歪について考えることが非常に多かった。 その中でひとつ、親という存在への考え方が変わったので書きたい。 端的に言うと、こう。 親とか家族くらいのことをいつまでも気にするのが鬱陶しくなってきた。 子供の頃どう扱われたかって、、、私は一人暮らしを始めてもうすぐ10年だ。その倍の20年だってきっとすぐに経つだろう。 私はいつまで親ごときの存在に左右されるのか。 心に飼うのか。 満たされなかった当時はそんなに大事か? いやもうどうでも
「傷つけるより傷つけられる人に」 そんなのありえない。 ならば傷つける人になれ、と言っているのではない。 そういう風にしか考えられないからお前らは鬱なんだ。 「傷つけられない人」「傷つかない人」になれよ。 傷つけようとするヤツの土俵に立つから馬鹿なんだ。 脳筋になって覚えろ。
回避型と恋愛してる不安型ぽい人のnoteがあって。久しぶりに更新された。 案の定、不安型が不安になっていた。 ここから巻き返す可能性もきっとあるんだろうけど、想像するのはこれからさらに不安と不満が増して、堪えきれなくなって終了のパターンだ。 ごめんねえそんな風にしか読めなくて
おもしろい動画があったらシェアしたり ふるさと納税で美味しいものが届いたら一緒に食べたり 偶然見つけた好物を買って帰ったり 出張や友達との旅行先で喜びそうなおみやげを買ったり 公園を手を繋いで歩いたり ベンチに座ってなんとなく語り合ったり いつものお弁当箱にかわいいものを詰めていつものレジャーシートでピクニックをしたり 一緒に初めての景色を見たり 一緒に初めての経験をしたり 目を合わせて笑いあったり どちらかが悲しい時も、 やさしくハグをして背中合わせにヒトを感じて 泣くと
男職場あるある 芯が空になったきり放置されるホッチキス ホッチキスが複数個置いてあれば1つくらいは芯が入っているか、全滅しているかというところ 芯が切れたら補充するんだよバカタレが 夫婦の トイレットペーパーの芯放置問題 なくなる寸前でストップ問題にも通ずるものがある..
松本人志って日本のホモソーシャルの頂点にいるような人間だけど 信者の数と同じくらいの批判を受けても平然としているんだろうか。 60代にもなれば考えが固着して外からの言葉が脳に入らなくなったりして平気なのかな。 この事件にどうリアクションすべきかは明白なのでわざわざしませんけども
まあ大概私も自立してないよな。 自立している風を装うのは板についているけど その実、あまりにも未熟すぎる。 どうすればブレずに安定した心で生きられるだろうか。 3日程度の間で大波打ちすぎ ほんとひどい 相手が可哀想 場数か?
言いたいことがあるなら言えばいいのに 喧嘩を売りたくてこう書くのではない。このフレーズの持つ雰囲気とは別に、真実そう思うから書くのだ。 そうして言葉を飲み込み続けると、それが癖になると、君自信の望みや本心までわからなくなるだろう。 それは悲しいことで、 とても愚かだ。
アメリカの大統領選挙が迫る 私のアメリカのイメージは 「薬と酒と自殺で平均寿命が下がっている国」 ハリスでもトランプでも、ウンコ味のカレーかカレー味のウンコかって感じなんだろうけど 病んだ国には、過剰な人権思想より、アメリカファーストがいいんじゃないかと思う
メシを作っていたら手のひらを火傷した ガスコンロのそばに置いたガラスのボウルも熱されていたのだ ヒリヒリ 流水で冷やしたあと、冷えピタを貼ったけど 冷えピタで冷えるまでの間はとてもヒリヒリした なんということはない 膿んだりしたらめんどくさいけど このケガは治る
月2のダンボール回収を出し忘れ続けた朝 朝からスーパーに行ってみた 詰め放題キャンペーンがあった 一袋540円 対象は、ニンジン玉ねぎさつまいもみかんキウイ お家で数えると18個 ハッピー 痛まないように でっかいテディベアをクッションにして保管する
付きまといにあった。23時半頃。 私は立ち止まって、付きまとい容疑者は私を抜いて目の前の交差点を曲がって行った。 右手に傘、左手はポケットの中。20代に見えた。 今時、ながらスマホをしていない人の方が、ある意味で不自然かもしれない。善良なはずなのにね。 夜はきれいで、危ない。
心が病んでいる人に興味があったのも、 それが改善されたなら、解きほぐすことができたなら、 その手法で自分も救われるかもしれないと、自分を救った気になりたいと、 そう考えたからかもしれない。 トラウマの再演というやつかもしれない。 これがこの恋愛で得た結論だ。 かもしれない結論笑
それほど酷い環境で育った訳でも、凄惨ないじめにあった訳でもないのに、 どうして私の心はこんなに萎れているのか ずっと不思議だ。 ただ私は、具体的な事象より抽象的な概念を好みよく考える傾向がある。 ならば私の心的外傷があるとすれば、「他者から何かをされた」というような具体ではなく、もっと曖昧な、空気とか雰囲気とか流れとか、そういった"何か"にすごく傷ついたことがあるor傷ついている、のかもしれない。 しかし抽象的な概念を好むのだって、先天的にそういう頭であるというよりも 具
なかなかに酷いことを言う 最近オススメ欄がうつ病なりなんなりの人の記事ばかりで。 そうしてたくさんの人の鬱を読んでいると 鬱の人への関心とか未知への感覚とか知らないからこその配慮とか そういう一線引いた感覚が消えて 世にありふれた事象の一つとして見えるようになってきてしまった。