二元論の楽しみ方
Beingのお話をしていると二元論自体がとても悪い(酷い)事の様に感じてしまう…という二元論のダークサイドに陥る事になってしまいがちなのが『二元論の怖いところ』だったりする訳です。
*無限回廊ですね。
…で、その時に外部から「ソウジャナイ」と働きかけるとですね、今度は無限回廊の中での行動を変える事に注目が行く感じになってしまいがちだったりします。…コレもまた『二元論の怖いところ』だったりします。
*ルールの中での動きが変化するだけなのでunoのスキップとかリバースとかのイメージですね。
二元論のダークサイドについて昨日のnoteで触れたりしてましたが、Beingを語る時につい悪者になってしまいがちなこの二元論さんって、本当のところはBeingを構成する一部でもある訳です。
それどころかBeing的な(空〜くう〜的な)ナニカは「経験」をする為にわざわざDoingしに来てるとも考えられるので、本質的にはとても尊いシステムだったりするのかもしれません。
決してネガティブ一辺倒な代物では無いのです!
そこで本日はちょいと趣向を変えて二元論の楽しみ方に注目するアプローチをしてみたいと思います♡
二元論だから感じる事
Holy and Brightと言うゴダイゴの名曲があります。
伝説のドラマ西遊記Ⅱ(1980年)のエンディングテーマだった曲です。
*英語版もとても良きなのでご興味ある方は↓のリンクからどうぞ♡
https://www.uta-net.com/movie/150347
↑の動画中の歌詞をご覧になって見えてくる風景はどんなものでしょうか?
混沌とか、沈んでる心とか、リアルな夜とか、はたまたビックバンを連想する方もいらっしゃるかもしれません。
とにかく共通する事は「最初にまず闇があって、そこに一筋の光が差し込んで行先を示してくれる…」そんな感じだと思います。
つまりこの楽曲が描き出す情景は「闇があるから光が際立って感じられる」と言うものです。
*ちなみに英語版の歌詞には
Lighting childlike purity In the dusty corners of our mind
子供っぽい純粋さを照らすよ、心のほこりっぽいコーナー(?)で…と言うもっとガッツリ光が強調された感じの表現があります。
コレ、そもそも最初から光しかなかったら「光」を改めて感じる事は出来ていない…そんな表現になっていませんか?
そうなのです。
二元論っていうのは『対比する事』で『違いを際立たせる』ツールであると言えるのですね。
違いが際立つと『目標が決めやすくなる』し、違うモノ同士を『統率する』『動かす』…などと言った難問(=経験値いっぱい案件)にトライする事が出来る様になる訳です。
人生ってまるでRPG(ロールプレイングゲーム)みたいですね。
*…て言うか、RPGそのものだと思いますw
なぜ経験が必要なのでしょう?
経験する事は楽しい事や成功体験ばかりではありません。
悲しい事や辛い事も沢山あります。
いやむしろ辛い事の方が多いかもしれません。
だとするとむしろそれは「罰ゲームと言っても過言では無いのでは?」…なんて思ってしまいますね。
ではなぜわざわざ「経験する事」が必要なのでしょう?
それはきっと自分がナニモノなのかに気づく為なのだと思います。
先ほどご紹介したゴダイゴのHoly and Brightは直訳すると「聖なると明るい」と言う事でそれっぽい日本語に意訳すると「神聖な光」…って感じになるんだと思います。
でもですね、ここはそれっぽい日本語にしないで直訳の方の感覚であえて「and」を意識してみて欲しいのです。
「聖なると明るい」または「神聖と光」…and以外はお好きな感じで訳して良いですw
気付きませんか?
コレって二元論なのです。
『対比する事』で『違いを際立たせる』のが二元論です。
「善悪」とか「勝ち負け」と言う(直接的な)分かり易い軸で対比する事以外にも適用できるツールなのですね。
善悪とか勝ち負けは同じレイヤーで簡単に対比が出来るいわば基礎的な二元論です。この対比して違いが際立つレイヤーをレイヤー1としましょう。
「聖なる」と「明るい」とか「神聖」と「光」といった事を対比しようとすると同じレイヤーでは馴染んでしまうので対比が出来ないですよね。
そこでアドバンスな二元論と言うものが必要になって来ます。
この時の対比で際立った違いが出てくるレイヤーはレイヤー1ではなく1つ上のレイヤー2になります。
こんな感じですね(笑)
*別にさんかくマインドの宣伝をしたい訳ではなくて、Being関係を説明すると最終的にここにつながってると言うだけです♪
基礎的な二元論で経験を積み、アドバンスな二元論に行き着く事で「気付き」を得る…その為に経験を沢山積むのでしょうね♪
結局Holy and Brightって何?
ではHoly and Brightの歌詞で表現される「聖なると明るい」モノとは一体なのでしょう?
暗闇を照らす光であったり、生み出す(出された)光であったり、、、
↑のさんかくマインドで導き出された雪凛の答えは「自分という存在」です。
はい、Beingですヾ(o・`ω・)ノ キリッ.:゚+
打ち拉がれてる自分とか、悲しみに暮れる自分に対して導きとなる光それ自体がBeingと言う感じ。
わかる人には説明は不要でしょうし、わからない人はまだ経験値が足りない…と言う事だと思います。
ただですね、多少は具体的で面白い話があります。
この曲って雪凛の中ではぼ10年単位でマイブームが来るのです。
・リアルタイムで聴いた8歳の時、
優しくて暖かい力が抜けてリラックス出来る歌だなと感じていました。
・その10年後18歳の時、
懐かしいけど全然古く無い、むしろ英語表現とか単純なのにカッコイイ響きだなと感じていました。
・その11年後の29歳の時、
バンド活動とかしてたので綺麗なメロディーラインやコード進行に改めて「イイなぁ」とかスカした事を感じていましたw
・その10年後の39歳の時、
風俗業界など人の繋がりとか、自身の子供の成長など色々な喜怒哀楽に重ねて「深い歌詞だなぁ」と染み染み感じていました。
・そして9年後の48歳となった今。
そこまでのマイブームの瞬間をまるで今体験してる様に感じながら、その時その時の自分の感覚が今の自分を構成している…と言うか現在進行形で体験している様な感覚で在るのです。
そう「在る」と言う感じ。
無理やり言語化すると、時空を超えてそれぞれのマイブームが今同時に起こってる…みたいな感じです。
で、↑コレを説明するのにも、納得するのにもレイヤー2が必要になってくる感じです。
…(* ゚ω゚ *)ん?
全然具体的じゃ無い?!
(ー'`ー ; )むむむ〜
少なくともHoly and Brightの歌詞に登場する「〝自分に対して導きとなる光〟そして〝それ自体もまた自分〟と言う感覚を実感してるよ♪」と言う感じです。
表現の仕方は人それぞれになると思いますけれども、オーガズムを感じてる時もこの感覚は近しいものがあると思います。
連続する波を楽しんでるうちにいつの間にかそこまでの過程やコレから起こる事といった本来時間軸的にはズレてる感じを得るからです。
*このあたりの話はまた別の機会にしましょうฅ^•ω•^ฅニャン
ともかくHoly and Brightは名曲なので皆様お聴きあそばせ♡
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