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早や夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く

早や夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く
この部分を引いて、歌舞伎の「雁金」という曲なのだと福永武彦の「忘却の河」で紹介する一節があって、それを読んだときから秋になるたびに、ここにただようもの悲しい風情と秘められた大人の妖しくも美しい惑いを感じるのです
誰が何をどうしようと時間は刻々と過ぎ去りやがてあの忌々しい時雨の冬がやってくるのだろうと思いながらもそこはかとなく冬を待つ私がいるのです

雁金の結びし蚊帳も昨日今日 残る暑さを忘れてし 肌に冷たき風たちて昼も音を鳴く蟋蟀に 哀れを添える秋の末 露の涙のこぼれ萩曇りがちなる空癖に 夕日の影の薄紅葉 思わぬ首尾にしっぽりと結びし夢も短夜に 覚めて恨みの明けの鐘 早や夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く 散るや木の葉のばらばらと 風に乱るる荻すすき草の主は誰ぞとも 名を白菊の咲き出でて 匂うこの家ぞ 知られける

(黙阿弥 「雁金」から)