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ぼんちゃん ❸

多幸の至高

初めての電話から2週間後、「すでに付き合い始めたけど初対面」というミッションを遂行した私たちは、これからもよろしくねと関係を再確認し、本来のスタートラインに立ちました。
柔らかなピストルの音とともに始まったぼんちゃんとの日々は、心底幸せでした。

毎日2〜3時間ほど続く電話に他愛のないメール、少ない時間でも会いに来てくれること、同じ柔道部の友人を紹介してくれること、知らない場所に連れて行ってくれること、好きな曲だけまとめたCDを時折プレゼントしてくれること。

私にとって、こうした日々の比較対象はひとくんと過ごした時間で、それは最後、不安だとか心配だとか、そんなもので逼迫していました。
ぼんちゃんと過ごす日々は、それらとの縁が殆どないもので、心がどんどん穏やかになるとともに、ぼんちゃんが好きだと言ってくれる自分のことを、私自身も少しずつ好きになっていました。

もしかして今、一生分の幸せを全部使ってるのかも、なんて、当時何度も思ったことを覚えております。
その幸せに比例して、ぼんちゃんの存在は私の中で根を張り枝を伸ばし、スクスクと成長しておりました。

1年目のクリスマスには、ディズニーシーのチケットをプレゼントしてくれました。あまりの楽しさに、毎年クリスマスはディズニーに行きたいと伝えると、その次の年もディズニーに連れて行ってくれました。向かう電車の中で、左手の薬指に、お揃いのリングをとおしてくれました。なぜ右手じゃないのか尋ねると「俺にとっては、左手なんだよ」と、笑っていました。

冬生まれの私の誕生日には、顔を真っ赤にしながら大きな花束を持って高校の前で待っていたり、プレゼント用のリボンが施されたアコースティックギターを持って私の最寄駅で待っていたり。
夏生まれのぼんちゃんにはシルバー製のネックレストップを贈り、毎年増えていったら面白いね、100歳を迎える頃には筋トレ代わりになるね、なんて笑いあったり。

たまたましていた散歩の道中、人気の少ない川辺のひらけた場所を見つけ、景色が良いから喧嘩をしたときはここに来て反省会をしよう、と取り決めたこともありました。

この場所は本当に思い出深く、ぼんちゃんと喧嘩をすることは滅多にありませんでしたが、悩み事ができた時や、面と向かって何かを伝えるのが怖いとき、聞いて欲しいことがある時など、たびたび2人で向かいました。
ぼんちゃんに「今日、河原に行きたい」と伝えれば、必ず彼は缶コーヒーを2本買い、手を繋ぎ、私の気持ちを柔くする為まっすぐ河原へ向かってくれました。

ぼんちゃんは、私の気持ちを大切にし、私の周囲を大切にし、それでもって自らの気持ちも大切にする、真っ直ぐで強くて、濃くて鮮やかな人でした。





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