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「牛飼い人生」の初めの一歩

かみむら牧場代表の上村新太郎です。

今でこそ、エラそうな顔して「牧場経営してます。!!」
なんてことを言っています。

あの頃は、今の自分を全く想像できませんでした。
がむしゃらに頑張っていた日々。

ものすごく仕事はつらく、イヤなことも多かったけど、
今思えば、毎日が楽しかったです。

「今は昔」、そんな話を一つ。

38年前、大学を卒業して、全く知り合いのいない北海道に一人。
3月とはいえ、まだ寒い帯広駅前で、牧場からの迎えの
車を待っていました。

将来は、「デッカイ肉牛牧場を経営するんだ!」っと
根拠なき自信をギラギラさせて。

大学4年間の夏休みには、北海道に無給の牧場実習にきていました。
短くても1ヵ月、長いときは3ヵ月。
広大な草地、晴れ渡った空、そこで飲んだビールの味はウマかった!

その当時、牧場の現場では、「学士様」は使い物にならないから
ダメだと言われて時代です。
牧場で働くには、頭より体。
みんなは、20㎏のエサ袋どころか、60㎏をいとも簡単に
かつぎ上げるのです。
自分にはできなった。

牧場の仕事は、朝は日の出前から、夜は暗くなるまで。
休日は雨が降ったら、なんとなく休み。
これが普通でした。

牧場の寮で、毎日3食、どんぶりメシ3杯を食べていたのは自分だけ。
それでも、3ヵ月で体重が-20㎏。持っていた服は、すべてブカブカ。
「体」、で働きました。必死で。

きつい仕事の日々。
寮の部屋にはテレビもなし。
仕事が終わると、ビールを飲みながら、好きだった女子に
手紙を書いていました。

いつでも東京に「夜逃げ」できるように10万円を
タンス預金していました。

時代は、牛肉自由化が始まったころ。
肉牛業界が斜陽産業になり始めたころでもあります。
そんなことは、自分に関係ないと思っていました。

仕事の要領もなんとなく覚え、少し気持ちにも余裕が
できるようになりました。
牛飼いの技術も少しずつ覚えました。

そうなると仕事が楽しくなってきて、
夜逃げをしようと思わなくなり、あの10万円は
いつの間にか仲間との飲み代に消えました。

あの頃は、
牧場経営をして、ものすごい「金持ち」になることを
夢見ていました。

38年後、小規模の牧場だけど、毎日、仕事もきついけど
お金もないけど、おいしい和牛のお肉を食べています。

ものすごい達成感があります。
とりあえず、幸せです。

38年前には、
想像できなかった未来が今、ここにあります。





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かみむら牧場のビーフキャトルな日々
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