『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』読了&感想
これは本当に学術書なのだろうか。
結論から言うとびっくりするくらい酷いです。学者らの言う狭い意味での「ホモソーシャル」、家父長制がどうとか女性のモノ化がどうとか言ってる理論は無根拠で使えやしないと断言できます。この本自体は何を主張したいのかも明文化できてない有様。文章の論立てすらも不明瞭なので感想や批判の軸はメタを交えてこっちで立てざるを得ませんでした。申し訳ありませんがしばし付き合って頂きたく。
最初にこの本が主張したいであろう事、及びその際に発生している致命的な問題点から指摘します。おそらく著者が主張したいのは、
・(異性愛者の)男性同士が形成する同性だけの社会、即ちホモソーシャルは、女性(というかおそらく女性器)を通貨として成立しておりその多寡で地位が決定する。ここで女性は人格を喪失して所有物と化しており、同時に女性器の価値を絶無にする男性同性愛は排斥される。なので異性愛者男性が構成するホモソーシャルは女性嫌悪も相まって一見ではゲイっぽい振る舞いをするのだけれど、本質的に女性の人格毀損と(男性同性愛)ホモフォビアが不可避となる。
(なお社会全体を論じているのか、特定の社会を論じているのかは言明していません。こういう所も学術書としてどうしようもなく駄目。この本こんなのばっかりです)
…という事だと思われるのですが、残念ながらその論拠となるデータとか、あるいは実例だとかが示される訳ではないです。エンゲルスとかフロイト、ラカンを使おうとしてますが、聖典に書いてるから正しいんだという神学のような主張しかしてません。ついでに言うと、三つともとっくに陳腐化しています。1985年に書かれた本なのでソ連も崩壊してなかったし、精神分析学がデタラメである事も分かってなかったし、ソーカル事件も起きてなかったのでそれは仕方ないのですが。
で、著者のセジウィックはこの主張を元にイギリス文学をいくつか取り上げそこから論を裏書きしにいくのですが、まず根本的に、昔のフィクションを深読みして現在の社会を非難する事自体が致命的に馬鹿げています。これが例えば何かを見つけたい、肯定したい等であれば、学術ではなくとも私個人としてはそれも良いと思います。ですが架空の話から陰謀論を主張した所で出てくる物は所詮フィクション、全く何も無いです。故に最初からこの本は論理がまともに成立していないと言い切れます。
もっとざっくりまとめてしまうと。
「ホモソーシャルは女性を通貨としている社会である、何故ならば私がそう考えているからだ」と最初に決めて、後はこの思い込みを基準に近代英文学を好き勝手に読んでいく事しかしていません。
これは本当に学術書なのだろうか。
では百歩譲りましょう。
昔のフィクションに書かれている事から今の世相を読めるとします。しかしある主張Aを元にテキスト群Bを読み込もうとすれば、Aに都合の宜しい箇所などいくらでも拾ってこれるし、都合の悪い箇所は無視できるという問題がどうしてもつきまといます。ユダヤの預言書(旧約聖書とも)からキリスト教に都合の良い箇所を拾ってきたように、あるいは新旧約聖書からイスラム教に都合の良い箇所を拾ってきたように。Bに忠実に、かつAを確定するのはよほど誠実、かつ上手くやらないと不可能です。ほとんどはAに合わせてBを捻じ曲げる程度の行為に堕しますし、ましてやAの論拠をBから導き出せてもいません。そして残念ながらこの本のやっている事も単なる捻じ曲げです。オカルトとかだったらそれも一つの楽しみになりえますが、この本は学術書なのでそんな事は言ってられません。
付け加えると捻じ曲げ方もあんまり上手いとは言えません。極めつけに酷いのが『我らが共通の友』を論じた…と言えるのかこれ。まあともかく第九章「ホモフォビア・女性嫌悪・資本」で、一例としてこんな記述があります。
彼女の本名はファニー・クリーヴァー(ファニーは女性性器、クリーヴァーは裂けるの意)…中略…「ファニー・クリーヴァー」は暴力──特にレイプ、おそらくは同性愛的レイプ──を示唆する。
(太字は原文だと傍点)
民明書房かな?
正直、文学には詳しくないのですが。多分こんなしょうもないこじつけだけで社会を論じるような学問ではない…んじゃないかな。ないといいな。なおこの章は題名からしてマルクス主義教丸出しの酷い代物ですが、もっと酷い事にホモフォビアも女性嫌悪も資本も大して言及されておらず、ましてこの三者がいかに繋がっているかは体系化する意図すら見えてきません。…この本で何か分かったような事言ってる人って本当に読んでるのか?
続いて千歩譲ります。
仮に著者セジウィックの今回の主張Aをイギリス文学Bから論じる事ができるとします。しかし、世界で最も読まれていて現在進行系で大人気の英文学を一つ提示するだけで、この主張の根拠の無さがくっきり出てしまうのです。具体的にはシャーロック・ホームズシリーズ。
ホームズ、ワトソン、更にモリアーティやレストレード警部、ハドソン婦人まで話を拡大して、何処に(せいぜい一つの類型でしかない)セジウィックの主張するようなホモソーシャルがあるというのか。母国でも世界でも一番人気で、当時から今に至るまで多くの人々に影響を及ぼしているこの英国の作品群には、例えばホームズとワトソン、モリアーティ、マイクロフトらの間に密接な関係性があって、これらはブロマンスやライバル関係、あるいは世間一般で認識される「ホモソーシャル」とも呼べるでしょう。それは私も強く首肯するけれども、セジウィック(および彼女の論をおそらく無批判に受け入れたフェミニズム)の定義するような(非常に狭い)ホモソーシャルには読めないと思われます。まあAの理論でBを捻じ曲げるをまたやらかせばやりようはあるのでしょうけれど。
ところで浅学な私もちょっと他の近代英文学に触った事があります。モームの『お菓子とビール』は、文学者の男性主人公がとある先生夫妻に憧れたら成人後にその嫁さんに食われたりする話でした。主人公と先生の間に広義のホモソーシャルがあると言えなくもないかもしれませんが、主体は明らかに嫁さんなので、仮にこれもセジウィック流に読み込もうとすると異次元理論が必要になりそうです。
…この本では分析(?)する英文学をシェイクスピアからゴシックホラー、19世紀中頃までに限定しているんですが、最後は「20世紀に向けて」として締めています。なので何故か19世紀後半を飛ばす形になっています。そしてその19世紀後半に入ってくるのがシャーロック・ホームズシリーズ。
…単にホームズシリーズが文学扱いされてなかっただけ? あるいは読んだ事なかったとか? 分かっていて無視したとかじゃないよな流石に…
そして万歩。
セジウィックの言うような人格の毀損、道具化を伴う社会(ソーシャル)は雑な理論に目を瞑って実在していると考える事にします。男性社会にも女性社会にも他の方法で具体例は出せますし。歴史においては主に女性が被害を受けたのかもしれません(しかし批判を通じて事例を具体化するのが学問の仕事であって、当然の前提とするのはカルトです)。
ですが、この本の論法で示せるのは近代イギリスにそういう社会があったという程度の事でしかないです。近代イギリス文学を分析(のようなもの?)すれば人類の社会全体に通底するものが出てくると主張する(あるいはそう主張したいのだとすれば)のは明らかな論理の飛躍です。
この本を読むと男性はホモソーシャルを形成して女性をモノ化してきたし(実の所ホモフォビアに関しては大して言及されていません)、今でもしていると思えるかもしれませんが、それは著者の恨み言がたまたま物事の一端を示しているという程度の話でしかないです。男性が必ずホモソーシャルを形成する、男性ホモソーシャルが家父長制と不可分で女をモノ化している、女性のホモソーシャルは男性をモノ化していない、といった認識がいわゆるフェミニズム、フェミニストの間で、学会でさえ流布していますが、それは根拠のないただの思いこみです。ここで話が冒頭に帰ってきました。つまり現代の(男性)ホモソーシャルが全て家父長制と女性のモノ化を伴っているという主張には何の根拠もない、と。
さてここで、セジウィック、そしてその主張をおそらく無批判に丸呑みしたフェミニズムの問題をメタ、かつ私個人の視点から箇条書きすると、
・女性器及びヘテロセックスに絶対の価値があると勘違いしている。何故かゲイにとってでさえも。なのでヘテロセックスが発生した場合、常に男性は女性の権利を侵害しているし、また金本位制における金のように社会の通貨になると考える事になります。ですが、実際は性行為は他に娯楽が増えれば増える程価値が相対的にガリガリ下がっていく程度のものでしかないです。どうでもいい事だからこそ軽視されるし問題も起きる訳で。ジェンダーとかセクシャリティとか色々賢しらな事を言ってしますが、「フェミニスト」は女性器絶対主義者で強烈なセクシストです。実際今、男性器で生まれてきたトランスジェンダーの方々に対して深刻なバグを起こしていますし。
・またバイセクシャルの概念が何処かへ飛んでいる模様。ヘテロセックスで女性を支配する(とセジウィックは思い込んでいる)事と男性同性愛ないしそれに近い関係はバイセクシャルで両立しえますし、古代ギリシャとか昔の日本、いやそれこそ近代イギリス寮生活のように具体例も出せるのですが、前述の女性器絶対主義のせいで視点が歪んでいるようです。…1985年の社会学者で知らないとは考えにくいのですが、まさか分かってて黙殺したのか?
・挿入される側は常に搾取される側だと思い込んでいる。ヘテロもホモも。おそらくこれもフロイトの影響。例えば無意味にフロイトの名前を出しつつ(男の)肛門について勢いだけでまくしたてながら、この文学には弱い立場の男が後ろを突き刺される暗示が随所にあるという、何が言いたいのかよく分からない論理の展開をしてみたり。しかして権力者が穴を使って棒を搾取する事例はいくらでもありました。歴史だと徳川家光とか、最近だと某大手芸能事務所の人とか。というか若いツバメなんて言葉もあるわけだし。
・というかホモセックス=アナルセックスだと誤解していて、しかもヘテロセックスの劣化版だと思ってる節がある。何というか、全てが間違っていて話にならないとしか。
・宗教、特にキリスト教に関する妙な無関心。欧米や新大陸のホモフォビアはどう考えてもキリスト教が大きな原因(例えばパウロは同性愛禁止を明文化しています)なのですが、セジウィックは第五章の冒頭でちょっと触れるだけで殆ど言及しません。イスラム教とフェミニズムは対立しないという、正直意味不明な理論はおそらくここに起因しています。その一方で、彼女は家父長制が大体の原因であると説明するのですが…
・フェミニズムがマルクス主義の亡霊なのは初めて知りました。家父長制は近代で資本主義に伴って発生した(そして諸悪の根源となっている)という今見ると意味不明な主張はエンゲルスが起源なのですが、マルクス主義以外のフェミニズム、例えばセジウィックも基本的にこの理論を前提としているようです。…マルクス主義が駄目になってしまったので家父長制がどうとかいう理論は一から建て直さないといけない筈なのですが、学会ですら問題の存在さえ認識できてない模様。
・同性愛者コミュニティに関する致命的な無知と無関心。例えば、男性同性愛者の社会では女性に対する性欲が存在しないのでそれなりの扱いになる、つまり全くの無価値になるので通貨になんてなりえないという事は完全に想像の外です。
・もっと言えば現実の同性愛者は存在すら認識されていません。冒頭3Pで、女性同性愛者は例外なく女性の権利を要求している存在(=フェミニスト)と極めて雑に片付けられていますがそんな単純なわけないでしょう。LGBTの運動を拒絶する性的少数者なんていくらでもいるのに。
・当時の、もしかすると今でも、フェミニズムにとって世界は欧米だけで、それ以外の扱いはびっくりする位雑です。宗教に関する無関心も相まって、セジウィックの論じるホモフォビアはキリスト教世界限定なのでは、という指摘が果たして成されたのかどうか。例えば、日本でホモソーシャル=ホモフォビアと言われるとかなり違和感がありますし。
・プロスポーツチーム、軍隊、修道院など、世間でホモソーシャルと聞いて連想されるような組織やその実態にはおそらく全く興味がなかったと思われます。これらの組織における序列は本来はその目的にどれだけ貢献したか、貢献できるかで決まる訳で、女性をどう扱うかは二の次以下です。でないと勝てないし。そりゃ女性嫌悪やモノ化も存在するでしょうが、それは組織の本質では全く無いです。
・というか、異性をモノ化して貶める事で成立するのがホモソーシャルだというセジウィックの理論に従うなら、現在のフェミニスト及びフェミニズムこそが男性(と「名誉男性」)を戯画化する事で潤滑しているセジウィック流のホモソーシャルなのでは?
・そしてこれらの観点の狭さ全てに関して一切の自覚がない。無条件、かつ絶対の教義が先にあって、それに合わせて事実を捻じ曲げている自覚すら、おそらくない。
・はっきり言えばホモに関してもヘテロに関しても性愛文化に関する知識がどうしようもなく浅い。1985年における情報の古さを差し引いても。というか関心そのものが無いかも。そも前書きであるゲイに「お前は同性愛界隈に関して何も分かってない」と言われたと本人が明かしちゃってるし。LGBTは人を殴る道具だと思っているのか…?
と、ざっと思いつくだけでこれだけ問題点が浮き上がってます。しかもその殆どが現在のフェミニズムに通底しちゃってるのを見るに、セジウィックの理論は学会でほとんど批判されなかったのではと疑わざるを得ません。
私がこの本を読んで結果的に理解したのは、「ホモソーシャルは家父長制に立脚していて本質的に女性の搾取を前提にしている」という、フェミニズム及び社会学者の主張には何の根拠もない事でした。セジウィックや社会学者が勝手にそう言ってるだけ。しかも特定の「ホモソーシャル」を論じているのか社会全体を論じているのかはこの本からして混乱しているし今の学会でさえ混乱しているという。
一方でホモソーシャルという言葉は世間に流布しているし、この単語で理解されている社会は実際に存在しているので、概念そのものを立て直す必要があります。ちょっと後日やってみるつもり。ただ、具体的な根拠を示す事は出来なさそうですが。
ここまで酷いとは思わなかった、というのが正直な所です。
逆にクソ映画を見るつもりで実際に読んでみるのもいいかも。あなたの街の図書館に入っているなら。買うのはお勧めしません。
専門用語に関しては読み飛ばしてしまっていいです。著者本人もロクに理解できてません。それと読みにくいのは難解な分析をしているからではなく、単に論建てが混乱してるだけです。
ほら読めそうな気がしてきた!
実際、皆に読んでほしいです。そして率直な感想を聞きたい。