【📰Int.3】全力で好きになることと、力を抜いて好きでい続けること -vol.3-
こんにちは。わくわくママ(妻)です。本記事はvol.3です。
vol.1、vol.2をまだ読んでない方は、こちらからどうぞ。
男は打算的、女は体力で頑張る
ーvol.2の続き
夫「でもそういう意味だとさ、女性はもっとやれるんじゃない?全力じゃないんじゃない?」
妻「え、どういうこと?もうちょっと余力があるってこと?」
夫「そうだよね。」
妻「でも、自分の中では全力でやってんだよ。だから本当に倒れる寸前までやってる。実際倒れてる人もいっぱいいるからさ。」
夫「まあ、確かに。」
妻「それが全力でやる、全力で好きになること、じゃない?」
夫「まあ・・・。確かに。そうだと思います。(笑)」
妻「そうだよな。でも、男はどこで切り替わるんだろう?
力を抜いて好きでい続けることじゃないと意味がないって気づくのはいつ?」
夫「成果が出ないって気づいた時だね。」
妻「結局?成果が出る出ないってなると、また別の話になるって、さっきの会話で言ってたよね。」
夫「確かにそうなると…男の方が成果に結びつく努力だけを、全力でやるのかもね。」
妻「効率的すぎる、男は!(笑)」
夫「うん。結果に直接コミットする努力しか選ばなくて、それを全力でやる。5キロの長距離走で1位を取る場合は、体力が消耗されないように、毎回1位をとってる人より戦略的に速く走る。」
妻「女性は1位になるっていったら、全力で走るだけだよね。
自分の体力の出せる限りを使って1位を取る。 だから、2位との差がどんだけ空いてようが関係ない。戦略的に考えたら、1位を取るには2位よりちょっと速ければいいわけでしょ。だけど、2位がどんだけ後ろにいてもいなくても関係なく、自分の出せる全力疾走で走って1位を取るわけ。
男は多分、2位より1秒でも早ければいいっていう風に打算的に考えて走るんじゃない?」
夫「でもそうなったら男性の方が体力は残るはずだよね。」
妻「だから体力残してんでしょ。そもそも体力がないから、全力で走っても圧倒的1位は取れない。」
夫「あ〜。男同士はそもそも全力でやってるから、1秒差っていうのを狙うのか。自分の限界を超えて。」
妻「そうだね。でも1秒でも早く走るために、前日まで力を抜いておくとか、コンディションをすごく整える。
でも女性は体力があるから、練習でもずっと走り続ける。」
夫「だから、自分が誰か女性の彼氏になった時に、もう1秒でも早い状態になったから、手を抜き始めるんだ。
彼氏になったって時点で1位だよね。暫定1位。その1位の座はなかなか塗り替わらない、簡単に塗り替えられるものじゃないから、手を抜き始める。」
妻「そうだよ。ボルト(100mの世界記録保持者・ウサイン・ボルト)より1秒でも0.1秒でも速く走っちゃえば、ボルトを超えたその人をなかなか超えることはできないわけよね。(笑)」
夫「(笑)たしかに。(笑)
ボルトを抜く時はちょっと頑張ればよかったけど、ボルトを抜いてしまえばもう意中の女性と付き合えたから、他の人は抜きずれぇなこれ…みたいな一線が張られる。」
妻「ボルトが越してきたらまた超えればいいみたいな打算的な感じでしょ?超えない可能性もあるわけじゃん。もうこのままでいいんだってなったら、全く走んなくなるんじゃない?それこそ。」
夫「たしかに・・・。」
1位になるためには2位より0.1秒でも速ければいいという方程式
夫「女性はなんで、彼氏を作る時は同じようにしないの?」
妻「考えないね。言ってしまえば考える頭がない。(笑)」
夫「手抜いていいんだよって(わくわくママにも)俺が言ってるもんね。(笑)」
妻「1位になるためには2位より0.1秒でも速ければいいっていう方程式に気づかない。別に世界最高記録を出さなくったってその大会の1位は取れるんだけど、そこに気づいてないから、相手に彼女がいようといまいと、自分の全力を出すね、女性は。」
夫「そうだと思うわ。」
妻「そういう意味だと、結婚しても女性がずっと全力でやり続けちゃうのは、何をされたら自分が嫌われるとか、居場所がなくなるとか、本質的にわかってないのかもね。」
夫「あ〜。どこまで自分が手を抜いたら2位になっちゃうかっていうラインね。」
妻「だから、いつも全力で、めっちゃ尽くしてるのに浮気されてたとかになっちゃうのかも。相対評価がわからないから。」
夫「男の方が意外と相対評価し続けてるかもね。うわ〜それ、闇深いなぁ。
例えば、筋肉自慢な人に囲まれてる女性を狙っても、この界隈は俺は細マッチョだから1番になれない、でも、賢い人たちに囲まれてる女性がいて、その女性の周りの人と比べたら俺めっちゃ賢いじゃん、賢さランキングで言ったら俺勝てるからこの人狙おう。みたいにしてるかも。」
妻「・・・。
なんか闇が深い話になっちゃったんですけど。(笑)まあ、例え話だからね!」
この記事で伝えたいメッセージ
妻「ここまでの話をまとめると、『好き』っていうことに対して『全力でやること』を定義するか、『続けること』を定義するか、それで分かれるんじゃないかなと思います。自分の中でいう好きっていう概念が、どっちに近いかどうか。」
夫「確かに、(今回議論した中では)どっちもやっぱ正解だった。」
妻「ただ、みんなのイメージの中では、『全力でやること』が『好き』っていうイメージ像に近いから、大半の人はそれをやらないと、逆に好きじゃないんじゃないかって自信なくす人が沢山いるとは思う。」
夫「うんうん。」
妻「でも、このまま全力でやり続けたらいつか身を滅ぼすことを知った人は、確かに、好きになり続けるために手を抜くっていう選択肢を選ぶ人も、いるんじゃないかな、と思いました。」
夫「そうだなって思う。」
妻「ちなみに、今回は結論づけられないテーマですが、その上で我が子に何か伝えたいアドバイスとか何かあります?」
夫「結局は、これを全力でやってる俺好きだわってなるものより、全力でやれなくなっても、やっぱり俺はこれを好きな人間でいたいっていうものに出会った方がいいんじゃないかなって思う。」
妻「あ〜。そもそもね!」
夫「俺はFPSゲームの大会に出るのが好きだったけど、それは全力でやる前提だった。汗水垂らして、みんなと必死にもがいて人生を歩みたいって思ってたけど、もしかしたら突然目が見えなくなったりする場合もある。
そんな全力を出せない不自由な状態になっても、俺はやっぱこれを好きでい続けたいな、みたいなものに出会ってほしいなって。」
妻「うん、確かに。そもそも、好きになる対象みたいなものを見極めるところも必要なんじゃないかってことだね。」
夫「そうだね。そこが今回一番伝えたいメインのとこかな。」
ちょっとしたアフタートーク|『好き』を再定義する
妻「今回は大分話が膨らんだな〜。」
夫「でも、話が広がったことで見えた気がする。全力でやる、全力でやらない人の定義や思いが沢山あって、それをひたすら会話しながら辿ってきたけど、これだけ発散するなら、好きでい続けられるものを見つけようとすることの方がいいのかもって感じた。」
妻「そうだね。そもそも、『全力でやること』=『好き』っていう定義とか、概念をまず外した方がいいとは思う。
もっと概念をフラットにして、じゃあ自分はどういうものを好きって定義しようかって考えた時、やっぱり長く続けられるものを好きって定義できるようになった方が、人生の幸福度的には高いんじゃないか?っていう話だと思う。」
夫「そうね。なんか、一旦全力でやろうかな、みたいな感覚であってほしいね。」
妻「うん、全力でやってる自分が本当に好きだってなる場合もあるし。ボロボロになりながら、とんでもない人生になっても、それが自分の中の『好き』に定義付けられてさえいれば、それでもいいんだと思う。」
夫「それはそれでいいね。今は全力でやるフェーズとか決めちゃってもいいし。」
妻「なるほどね。
今回難しかったし長かった〜。(笑)」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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