【❓Que.2】倫理観って何? -vol.1- 【わくわくママのくえすちょん】
こんにちは。わくわくママ(妻)です。
今回は、【わくわくママのくえすちょん】シリーズ第二弾です!
まずは、vol.1です。
常識は倫理観ではなく、倫理観がベースでできたもの
妻「今回は1つの記事の中で、2つ質問するんですけど。」
夫「はい」
妻「1つ目は、倫理観がない人はなぜいるのか?
もう1つは、倫理観がある人になるにはどうすればいいか?」
夫「はいはい。」
妻「なんでこれを聞こうかと思ったかというと、倫理観がないことで炎上する人がいるように、今の世の中、倫理観について結構気にしてる人が多いんじゃないか、と思って。」
夫「めっちゃ多いね。」
妻「めっちゃ多いよね。でも私は一般的な倫理観持ってなかったわけよ。でも、やっぱり気にする人も多いし、これから生きていく上で、それじゃいかん、と。」
夫「はいはい。」
妻「じゃあ、なんで私がそもそも倫理観なく育ってしまったのか。おだやかパパ(夫)と会って、倫理観が高まってきたけど、これから先もっと倫理観を身につけたい場合どうすればいいか。その辺も含めてお伺いしたいと思います。」
夫「うわ、長くなりそう。」
妻「OKOK。じゃあまず、なぜ倫理観のない私みたいな人間が出来上がってしまうのか。(笑)」
夫「(笑)
今俺も転職してIT業界に入って分かったけど、わくわくママは『IT業界の倫理観』っていうのは培ったんだなって思った。」
妻「でも、それ社会人になってからでしょ?社会人になる前から倫理観なくなかった?」
夫「社会人になる前は、それこそ本当の意味で倫理観がない状態だった。(笑)」
妻「うるさいよ(笑)」
夫「社会人になって、IT業界で生き残るための『常識』を身につけたって感じ。
それでいうと、『常識』と『倫理観』の区別がついてない人がいる。『常識があること』を『倫理観』だと捉えてる人もたくさんいると思う。」
妻「あれだよね、お年寄りには優しくしなきゃいけないとか?」
夫「う〜ん。でもわくわくママが言うってことは、多分それが(わくわくママの中で)常識っていう範囲に入ったんだと思う。」
妻「はぁ。子供には優しくしなきゃいけないとか、妊婦さんには席を譲らないといけないとかは常識って感じるけど、そうじゃない?」
夫「例えば、東京ではエスカレーターで左に寄るのが当たり前だけど、他県ではそうじゃない。でもその場で、救急隊が後ろから急いでエスカレートを上がってこようとしてたら、他県の人たちも左に寄ったり右に寄ったりする。それが倫理観に近いと思ってて。
でも東京の人がやってるのって倫理観で左に寄ってるわけじゃなくて、常識でやってるよね。」
妻「はい。」
※わくわくママは東京都出身です。
夫「常識っていうのは、最初は倫理観でやり始めたことが、 全ての人がやるべきってなったこと。『べき』っていう言葉は心理学的に良くないものとして扱われるから良くないものとして扱うけど、これやってくれると心優しいよねって思うことから、やるべきものだよねってなったものが常識に近い。」
妻「なるほど、最初は倫理感でできたんだ。ほぇ〜。」
夫「もちろん全ての常識が倫理観からできたものではないとは思うけどね。」
倫理観を育てる環境はどこにある?
夫「『倫理観がすべきものになって、常識になってる』ってなった場合、地方の人から東京の人は冷たいとか言われるわけじゃん。それは結局、東京の人は倫理観を持ってやってるわけじゃなくて、常識でやってるからだと思う。」
妻「はいはい。」
夫「地方の人は、エスカレーターで左に寄ろうかな、寄るべきかなって、考える瞬間がある。その時に、俺は左に寄る人でありたいか、ありたくないか考えて、そこからもう倫理観を育てられてきてる。
でも、東京の人は、自分はルールに従った上で、左に寄ってるから問題ないって判断してる。だから、倫理感を考えるタイミングがまずほぼないと思う。」
妻「うん。ない。」
夫「そういう意味で、地方とか田舎の人が基本的に人に優しいというか、人情味があるって言われてると思ってて。日常で自分がどんな倫理を働かせる人なのか、それが常識的に選ばされたものじゃなく、自分が選んだって思ってるものがたくさんあると思うんだよね。」
妻「うん。」
夫「でも、田舎にも倫理観ない人がいたり、東京にも倫理観がある人がいる。」
妻「いるね。」
夫「そうなってくると・・・
倫理を働かせるか働かせないかとか、自分はどんなものを大事にするかしないかっていう地方の環境が、倫理の成熟度に繋がるとして、東京にその環境がどこにあるかというと・・・家庭になるのかなって思う。」
妻「家?」
夫「うん、家の中にルールとか常識っていうのが塗り固められてると、倫理観が習得できないかも。
例えば子供が、『お母さんいつも忙しそうだからお風呂のお湯張りしてあげようかな』って思う前に、『普通忙しそうにしてたらお湯張りするでしょ。』って言われちゃったら、自分がお湯張りしてあげるっていう倫理を働かせる人なのか、 働かせない人なのかっていう判断がまずできない。」
妻「うんうん。」
夫「もし、その子供が倫理観を育てたい、自分は道徳心がある人間になりたいって思って、良かれと思ってやったとしても、お母さんからして『ルール通りにちゃんとやってくれた』と思われてしまうと、倫理観を育てる知的好奇心も湧かなくなると思う。」
妻「はいはい。」
夫「知識習得と一緒でさ、『今日学校で九九覚えてきたんだよね』って言った時、『いや、そんなの知ってて常識でしょ。』って親から言われたらさ、全然楽しくないと思うんだよ。」
妻「確かに。」
夫「倫理も一緒で、『お母さんいつも忙しいから、たまにはお風呂入れてあげましょう』とかさ、学校の道徳とか学童で習ってきたりするわけじゃん。
それで家でお湯張りしてあげた時に、親は『ちゃんとできるんだ』じゃなくて、『やってくれたの。ありがとう。』みたいな感じを受けてると、本人の倫理は育っていくかもね。」
妻「え、でもそれじゃダメなんじゃない?それが正解とか常識だと覚えちゃったら、お湯張りしない倫理みたいなことを考えないよね。」
夫「なるほど。お湯張りしないこともまた良いことってことだよね。
そうなったら・・・」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きはvol.2で!
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