【📰Int.8】個性ある知識 -vol.1-
こんにちは。わくわくママ(妻)です。
インタビュー記事、第8弾です。どんどんいくぞ!
知識の習得と開示する情報量が、そもそも人によって違う
妻「では、今回は『個性ある知識』というタイトルについてお伺いしたいと思います。」
夫「よろしくお願いします。」
妻「まず・・・このタイトルを初めて聞いた時に考えたイメージ言っていいですか?」
夫「はい。」
妻「私は知識人なので・・・知識に個性がある、というイメージが全く思い浮かばないんですけど。」
夫「お〜そうなんだ。」
妻「そう。なぜかというと、『知識』というのは、誰もが知ることができて、みんな平等に持てて、全く同じ意味として受け取ってるもの、と思ってるんですね。なので、そこに『個性がある』っていう着色的な意味が全く想像つかないっていうのが、私の見解です。」
夫「はいはい。」
妻「これを踏まえてちょっと聞いていきますね。
ズバリ・・・おだやかパパ(夫)がいう『個性ある知識』とは、どんなイメージですか?」
夫「そうね、ズバリね。
経験から、何を得たかとか、何を感じたかっていうのは、個性が出るっていうのはわかるよね?」
妻「はい。同じ経験でも人によって得るものは違うよね。」
夫「それと同じで、本を読んだ時に、その本からどう知識を自分の中に蓄積したか、記憶に定着させたかっていうのは個性が出ると思ってて。」
妻「あ〜〜。」
夫「経験もさ、例えば、5人で森に行って鳥の鳴き声を聞いたら、その鳥に関してどう感じたかもバラバラだし、その鳥の声が聞こえてない人すらいる。だから、感情っていうのは個性があると感じるわけ。」
妻「感情はね。」
夫「けど、知識も本来そうなってると思うんだよ。だから、国語の授業を受けても、算数の授業受けても、体育の授業を受けても、その授業の中で受け取った知識に、個性が出てしまう。そういう感覚だね。」
妻「おー。なんでそれ思ったんですか?」
夫「あー。1個は・・・そうね。
みんなが知ってるとこで、ぼっち・ざ・ろっく!(アニメ)で。」
妻「はいはい。(知ってるか?)」
夫「リョウ(ベースシスト)がすごいベースが好きなわけやん。いろんなジャンルの曲についても、オタクのように喋り始める。
でも、作中にテストはいつも赤点なんだよねっていう表現が出てきて、それを聞いたキタちゃん(ボーカル)が、『理想の姿が壊れちゃう、本当はバカなんだ?!』みたいな表現をしてた。」
妻「うんうんうん。」
夫「でも、それってつまり、生きてる中でベースの本を読んで蓄えられた知識と、授業中に勉強して蓄えられなかった知識があると思うんだよね。
蓄えることができなかったんじゃなくて、蓄えるものを取捨選択したことに近いと思ってて。それって個性なんじゃないかって思う。」
妻「むずいっすねぇ〜。なるほど。
でも、それ知恵に近くない?」
夫「いや、でも、知恵でもないと思うんだよね。」
妻「そうなんだ。知恵でもないし…経験でもないからね。」
夫「書物に近いよね。」
妻「書物もそうだし、 先人の知恵とも言うから、誰かが知ってることとか、開示された情報だよ。」
夫「俺はサッカーやってたけど、 みんな人のプレーの真似とかさ、蹴り方の真似ってできるわけよ。
体の使い方というか、ボールを蹴る足の振り方が知識化されてる。 で、それをみんな全部蓄えてあるわけよね。」
妻「うんうん。」
夫「けど、じゃあそれを自分が使うってなった時も、また個性が出るというか。」
妻「あ〜。知識を吸収する部分でも個性があるし、使い方にも個性があるってことか。」
夫「例えば、1冊の本を1回読んで、何を吸収したかには個性が出る。でも、それを10回読んだら確かに個性が均されるけど、使う時にまた個性が出る。
全ての知識を活かせるかどうかで言うと、また限定されてくる。」
妻「うわぁ〜。そこが個性なのかなぁ?個性なのか・・・。
個性ってなんだと思います?(笑)」
夫「それはまた、別で考えてんだけど。(笑)」
どんな情報を掻い摘むのかは個性と言えるのか?
妻「なんか、今の話だと、確かに知識をインプットする時も、アウトプットするときも、どの知識を掻い摘んで入れるか、出すかみたいな話だと思ってて。その人がどうやって掻い摘んでるかっていうとこにも関わってくると思ったんだけど。」
夫「うんうん。
経験で得るものが違うっていう話と同じように、何をどう掻い摘んでるかって話だよね。」
妻「そう。経験とか知恵とかは、同じことをしてても、みんなそれぞれ感じ方が違うから、知識として落とし込めない、感覚的なものだと思ってる。で、それは人それぞれバラバラだと思うっていうのはわかる。」
夫「うん。」
妻「生きてきた環境とか、目がよく見える人もいれば、耳がよく聞こえる人もいる、だから感じ方が違う、そういう話だと思う。
なんだけど、知識を習得するってなった時に個性っていうのが何でできてるかっていう話だと思ってて。」
夫「はいはい。」
妻「1個はバイアスだよね。今、こういうことが気になってるから、こういう知識がすごく入ってくるみたいなバイアスが関わってるんじゃないかと思う。」
夫「あーなるほどね。」
妻「あるいは、経験とか知恵の話と一緒で、育ちや環境とかによって、その人自身の受け取る情報っていうのが、同じようにバラつきが出る。
で、それを個性っていうのか。」
夫「はあ。面白いね。
俺が今聞いて思ったのは、1個はもちろん、バイアスっていうのが1番でかいと思ってた。」
妻「そうだよね。」
夫「でも確かに、経験は五感の鋭さによって受け取るものが分かれるって話が、個性だよね。」
妻「そうそう。」
夫「そうなると、知識も同じように、本を読んだ時に、人によって例文を読んでも理解しづらかったけど、直接的な事象を説明されると理解できたとか、絶対あるじゃん。
言語的な文章、算数的な文章、空間認知が必要な文章、そういうのが教科書の中でも大量に含まれてて、個々で理解しやすさは違うよね。」
妻「確かに確かに。そしたら、個性あることになっちゃうわ。」
夫「個性だよね。揺るがないものになっちゃうよね。」
妻「みんなが同じ知識を持ってるとは限らないってなっちゃうわ…
知識の概念が崩れる・・・!」
夫「そうなの?」
妻「えぇ、崩れるよ!
例えば、歯の話で例えると、『最初は乳歯から生えてくる。』って知識じゃない?『歯は乳歯から生えてきて、大体10歳ぐらいになって抜けて、永久歯になる。』これ、知識だよね。別にノウハウでもないし、経験でもない。」
夫「はいはい。」
妻「じゃあ、その知識が描かれてるのが、文章がない絵本だったとする。子供の顔があって、歯が生えます。
次のページで、ポロって落ちました。そしたらまた歯が生えてきました。そのあとは、大人になってもずっと生えてます、みたいな知育絵本。」
夫「1本ずつ抜けて生え変わる絵が淡々と続くような感じね。」
妻「そうそうそう。それも歯に関する知識なわけ。だから、言葉自体は知らないけど、歯が生える原理はさっき言った文章と絵本を読んだ時で同じことを習得してると思うんだよね。」
夫「乳歯と永久歯って単語は除いてって話ね。」
妻「そうそうそう。その2つの媒体から受け取れる知識っていうのが変わってくるってことでしょ?」
夫「変わってくる。変わってこないと思ってたってこと?
変わってこないっていうのが一般常識ってことか。」
妻「言ってしまえば言語的感覚が鋭い人か、芸術的感覚が鋭い人かって話にもなるけど、その言語的感覚が優れてる人たちが一般的な人たちだよね。
文章っていうのは、抜かりない事実なわけ。絶対に正しいし、順序が狂うこともない。それを見た人はみんな同じ情報を得れると思ってた。」
夫「なるほどね。(笑)」
妻「笑うなよ!(笑)みんなそう思ってるから!」
夫「なるほど。」
妻「そうよ。だって、乳歯が出てきた、歯が10年後に抜け落ちるんだ、永久歯が出てくるんだ。
その文章を読めば、『へえ、なるほど』って共通認識になると思ってた。」
夫「うわ〜。」
妻「でも実際は、文章じゃなくて絵に描かれただけだとしたら、今の言語感覚が鋭い子供からしたら『え。なんか歯抜けてっけど、虫歯なのかな。』みたいに、うまく読み取れないってことでしょ。
逆に絵が少なくて文字が多い絵本の場合、言語的感覚鈍い子供にそれを見せても、知識としてうまく蓄えられない。っていう話だよね。」
夫「そうね。」
妻「ハァァ〜〜〜〜。
そんなこと言ったらもう何それ。どうすればいいの。」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きはvol.2で!