老後を考えさせられた:「在宅ひとり死のススメ」読了
書店で目についた本をタイトル買い。200ページぐらいなので一気読みした。
本書のテーマは「ひとりで在宅しながら寿命を迎えることは怖くない、むしろそうなりたい」というもの。
日本の場合老後というか介護が必要な体になると、どこかのホームにお世話になるか、介護のお世話になり、余命尽きるのが間近となれば病院に入院して最期を迎える。そんなイメージが強い。
というか、それ以外にあるの?とボクも思っていた。
でも、本当に最期の最後を迎える時は病院に行く必要はないし(行っても助からない)、ましてや死んでから遺族は119番や110番する必要はない。担当医に死亡証明書を書いてもらえれば葬式は出せる(医師が書いた証明書がないと葬式を出せないというのは数年前父が死んでボクが喪主になった時に初めて知った)。
2000年に始まった介護制度は本書の最後でも大きく章を割いて説明されている通り改悪に改悪を重ねてきた制度だけど、しかしそれでも介護制度があるからひとりになっても安心して家にいながら最後まで天寿を全うできると確信を持てるようになる。
ボクももう50歳と老後に片足を突っ込んでいるし、歳を取るにつれ、老後どうするかを真剣に考え始めている。
ちなみに老後のボクの定義は「働くことを辞めた後」。ボクの場合サラリーマンを辞める年以降のことを指す。会社を辞めてもNPOやボランディアで働きたいと思っているけど、それは給料が欲しいからではない。
だから60歳で定年を迎えれば、今の会社は再雇用制度があるけど、それはお断りし、60歳までに経済的自由を確立して、老後を迎えたいと思っている。
そしてできれば75歳ぐらいで死にたいと思っている。とすると、これから25年は生きるわけだが、ボクの妻は10歳年上なので、いくら女性の平均寿命が長い日本と言えども、彼女の方が先に逝くか、同時期に2人とも死ぬ可能性が高い。
家人に先立たれると、その頃のボクはおそらくひとりだろう。子供もいないし、妹家族は大阪に住んでいるから頻繁に会うわけにもいかない。今の段階では食事を頻繁に共にするような友人もいないので、基本的に朝から晩までひとりきりで行きていかないといけない。
ひとりでも妻がいても老後やりたいことはいくつかあるので、ひとりになっても家事を含めて生きていく自信はある。実際昨年妻が大腸癌を患って1ヶ月近く入院していた時もペットの世話から自分の世話、妻の着替えや日用品の準備など特に問題もなくできていた。在宅ワークだったことも大きかったけど、食事や洗濯、掃除なども贅沢をいわなければまぁなんとかなるなと思った。もともと家事自体は嫌いじゃないし。
しかし、老後体力が衰えてきて、日常生活すら困難になる病気を抱えた時、ひとりだとどうするのかと漠然とした不安を抱えていた。
その不安を解消するためだけに再婚するのも変な話だし(相手がいればの話だけど)、お金があれば老人ホームに入るのも悪くないなと思っていたけど、それだとほとんど自由がなくなる。外出するのにいちいち外出許可が必要になるから。
だとしたら、介護認定を受けて、ケアマネについてもらい、自分でできる範囲は自分で世話をし、いよいよダメという時は身の回りの整理をして、ひとりで家で死ねばいい。
そんな自信をもたせてくれる本だった。
介護の現場は大変という話をよく聞くけど、うちの母が介護認定を受けてケアマネの世話になったいた時、日本のケアマネはこんなにもやってくれるのかと驚いたことと、こんなにも行政から補助金が出るのかという驚きの連続だった。
たとえば廊下に手すりをつける工事も介護の範囲には入っていて、びっくりするような安い値段で工事ができる(ほとんどを行政が支援してくれるので自己負担が低いという意味)。
ただ、そのためには自宅を持つ必要があるなとも思った。ボクは家や土地は持ちたくない人間で、死ぬまで賃貸で行こうと思っていた。
しかし、賃貸だと部屋で孤独死をした時事故物件として大家さんや住宅会社に迷惑をかける。
自分の家であれば、死後どう処理して欲しいのか、財産はどこにあって、寄付などを含めてどれだけを誰に分配するのか、文書に残しておけば大きな問題にならないと思う。
ボクは家を持つにしても贅沢したいとか新築でないとイヤだとかまったくなく、その点は妻と意見が合わないので、買うとすれば妻の死後だろう。ケアマネがちゃんとした地域で、1Rぐらいの小さな小屋を数百万で買って、ゆっくり死期を迎える。そんな老後になるだろうなと具体的なイメージを持てた。
先日雑誌で「平屋で400万円台からの小屋みたいな家を販売する会社が、受注が多すぎて生産が間に合わない」という記事を読んだばかりで、こんな家で十分だなぁと思っていたところなんだよね。
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